本の覚書

本と語学のはなし

吾輩は猫である


 少しずつしか読まないので全然前へと進まない『吾輩は猫である』から、ちょっと書き抜き。

元来蟷螂(かまきり)の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いてみると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語のごとく毫も実用にはならん。(ちくま文庫版272頁)

〔蝉が〕飛ぶ間際に溺(いば)り〔尿〕を仕るのは一体どう云う心理状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊の墨を吐き、ベランメーの刺物(はりもの)を見せ、主人〔苦沙弥先生〕が羅甸語(ラテンご)を弄する類と同じ綱目に入るべき事項となる。(同274頁)