本の覚書

本と語学のはなし

Kritik der praktischen Vernunft


 数学を勉強して以来、頭が冴えてきたような気がして、持続可能か否かも顧みずにカントの『実践理性批判』を読んでみた。いちいち文章が長くて入り組んでいるのは煩わしいが、辞書を引く必要がほとんどないのはありがたい。
 ちょっと書き抜いてみよう。

die Maxime aber, die auf solche Weise niemals die allgemein-gesetzgebende Form in sich enthalten kann, stiftet auf diese Weise nicht allein keine Verbindlichkeit, sondern ist selbst dem Prinzip einer reinen praktischen Vernunft, hiermit also auch der sittlichen Gesinnung entgegen, wenngleich die Handlung, die daraus entspringt, gesetzmäßig sein sollte.


 翻訳は幾つか持っているが、以下は以文社の宇都宮芳明訳。

だがこのようにして決して普遍的=立法的形式を自らのうちに含むことができない格率は、こうした仕方で責務を樹立できないばかりか、たとえこの格率から生ずる行為が合法則的であるとしても、まさしく純粋な実践理性の原理に背反し、このことでまた当然にも道徳的な心術にも反するのである。(85頁)


 宇都宮訳が面白いのは、まず直訳調で翻訳し、その後にほとんど本文と同じ長さにわたって内容をかみ砕いた注解をほどこしているところ。このスタイルを批判する人もいるが、原文と対照させながら読む人間のためには親切であるから、私は文句を言わないでおこう。
 上に引用した部分(前の文章を含む)に相当する注解は以下の通り。

これに対して、「意欲の実質」が「実践的法則の可能性の条件」となると、そこから「随意の他律」が、すなわち「なんらかの衝動や傾向性に従おうという、自然法則への依存」が生ずるのであって、たまたまその場合の格率から生ずる行為が「合法則的」であっても、それは「まさしく純粋な実践理性の原理に背反」しており、したがってまた「道徳的な心術」にも背反していることになる。(85-6頁)


 カントは決して適法であることを倫理の基準とはしなかったのである。


 文学部でドイツ語を第二外国語に選択してしまった以上は、哲学を専攻するべきだったんだろうなと思う。どこでどう間違えたのだろう。