『国家』の藤沢訳。
ἆρα καὶ ἐν αὐτῇ τῇ τέχνῃ ἔνι τις πονηρία, καὶ δεῖ ἑκάστῃ τέχνῃ ἄλλης τέχνης, ἥτις αὐτῇ τὸ ξυμφέπον σκέψεσται, καὶ τῇ σκοπουμένῃ ἑτέρας αὖ τοιαύτης, καὶ τοῦτ’ ἔστιν ἀπέραντον;
はたして技術そのものにも、これと同じ意味での欠陥が考えられるだろうか? それぞれの技術は、それぞれの利益になるようなものを考えてくれるような、別の技術を必要とするだろうか。そしてこの後者の技術はさらに別の技術を必要とするというふうにして、このことは無限に先へと続くのだろうか。(61頁)
長いブランクの後一番読みにくさを感じるのはギリシア語だ。近代語の発想とはかけ離れている。日本語にはなおのことなりにくい。原文と日本語訳を比べると、かなり分量が増えているのが分かると思う。
もっとも、どこまでがギリシア語の問題で、どこまでがクレージーなソクラテスの問題であるかは峻別し難い。