本の覚書

本と語学のはなし

バルバロ


 案の定、道元の次は聖書を復活させる。私の聖書挫折率はかなり高いので、いつまで続くか分からない。聖書とはそういう付き合いでよいと思っている。
 翻訳は講談社のバルバロ訳。以前「第二法の書」(一般の聖書では「申命記」と訳されている)の終わり近くまで読んでいたので、その続きから。そろそろモーゼ(一般的にはモーセ)の最期である。


 9月28日付け日経新聞の「半歩遅れの読書術」というコーナーで、橋爪大三郎が聖書の解釈を扱っている。
 たとえば旧約「創世記」の冒頭。新共同訳では「神の霊が水の面を動いていた」とある。最初から「神の霊」があったかのようだが、誤訳とは言えない。文語訳も口語訳も「神の霊」だったし、英語欽定訳の「ザ・スピリッツ・オブ・ゴッド」にならったのだろう。しかし、ユダヤ民族は霊魂の存在を認めていなかったのだから「霊」がでてくるはずがない。英語でも他の訳では「ア・ウィンド・フロム・ゴッド」とか「ザ・パワー・オブ・ゴッド」というようなものもある。「霊」と訳すのは構わないが、他の訳もあるのだと注釈を付けてほしい。概ねこんな内容だ。*1
 解釈を押し付けないというような理由から、プロテスタントでは聖書には一般に注釈を付けない。プロテスタントカトリックが手を携えて作った新共同訳の場合も、スタディ版*2というものを除いて注釈はない。図書館で注釈書とにらめっこをしながら、読み込んで手垢のついた聖書に書き込みをしている人を時々みかける。たぶん新改訳ではないだろうか。聖書そのものに注釈が付いていれば楽なのになと傍から見ていて思う。
 一方、カトリックの聖書は一般に注釈つきである。有名なのはフランシスコ会*3やバルバロ訳。ただし、純粋に学問的・文献学的なものから教義に触れるものまで様々あるので、カトリックでない場合には注意して用いる必要がある。
 そこで「創世記」の冒頭だが、バルバロ訳では「水の上に神の息吹が舞っていた」となっている。注釈は「この『舞う』は、鳥が大きな翼を広げて舞い上がり舞い降りるさまを表現することばである。『神の息吹』は、混とんとしたものの一つではなく、むしろ『想像の力』をもつものである」となっている。私なんかもやはりこういう注釈は便利だと思う。一般の聖書も、簡潔にでもいいから純粋に学問的な注意くらい付けたらいいのではないか。


 ちなみに、英語の欽定訳を口語的に直したバージョンでは、「the Spirit of God」の「the Spirit」に「Or wind」と説明を加えている。
 ルターのドイツ語訳では「der Geist Gottes(神の霊)」とあるだけで注はない。
 フランス語聖書の古い方は「l’Esprit de Dieu(神の霊)」で注なし。新しい方は「le souffle de Dieu(神の息吹)」で注は「Le souffle de Dieu ou l’Esprit de Dieu, ou encore un vent violent(激しい風)」。
 イタリア語聖書は「lo spirito di Dio(神の霊)」。注釈は長いので下に書き抜いておく。イタリア語には不案内なので、飽くまでざっと訳してみると「神の霊とは創造主である神の現前である。神は世界に秩序を与え美しく飾り立てる、すなわち、無から全存在を創造するという偉大な業を始める。しかし、ヘブライ語では霊と風を表わす言葉が同一であることから、聖書記者がイメージしているのは激しい風の吹く様であり、それによって虚無を表現しているのだと考える者もいる」。*4
 ラテン語のウルガタ聖書では「spiritus Dei(神の霊)」で注はなし。
 ギリシア語の七十人訳は持っているつもりだったが、残念ながら購入しようとして思いとどまっていたらしい。たぶん「プネウマ」が使われているのではないかと思う。

【イタリア語聖書の注】
 Lo spirito di Dio è la presenza del Dio creatore che avvia la grande avventura dell’ordinamento e dell’ornamento, cioè della creazione dal nulla di tutto l’essere. Alcuni, però, essendo identico in ebraico il termine per esprimere lo spirito e il vento, pensano che qui l’autore biblico immagini la presenza di un vento tempestoso, un altro modo per esprimere il nulla.

*1:橋爪が薦める聖書は、岩波書店の『旧約聖書』(全四冊、旧約聖書翻訳委員会訳、2004年)。

*2:持っていないので詳細は分からない。興味はあるけど、最近は本を買うのに慎重である。

*3:新約のみ持っている。旧約と新約が合本になるのを待っているが、なかなか実現しない。

*4:間違っていたらすみません。