本の覚書

本と語学のはなし

『良寛のスローライフ』


松本市壽『良寛スローライフ』(NHK出版生活人新書)
 解良栄重(けらよししげ)『良寛禅師奇話』の全てと、補足として良寛の和歌や漢詩などを幾つか紹介しながら、良寛の人となりを提示する。ただ、専ら『奇話』に依拠しているので、そこに書かれていないエピソードにはほとんど触れられていない。


 著者のコメントは甚だうるさい。論客として一顧の価値すらない。

 たとえば朝日新聞の「天声人語」は、しばしば「徳育」というキーワードを、かつてのプロレスラー力道山の空手チョップのように切り札としてよく使うが、その徳育の涵養方法には方法論がなく、ただのカラ念仏にすぎないことがよくわかる。
 徳育の方法論は、良寛が生きて示した実践のかたちを学ぶことに求めるしかなくなっていると知るべきである。かつて颯爽と論陣を張った戦後日本の知識人、丸山真男らに求めるべくもない。(49頁)


 朝日新聞丸山真男が何故いけないのか、これ以上のことは書いていない。何故良寛に学ぶしかなくて、それ以外の方法では絶対にだめなのかという肝心なことも全く書いていない。その良寛徳育の方法論だって詳細は不明である。単にサウスポーは嫌いだと言いたかっただけのようだ。

 智海は昼間からへべれけに酔っぱらい、解良家にやってくると、「うぬ、良寛め」とばかり、泥水で濡れた帯をふるって良寛を打とうとしたのである。かつてよくくりかえされた新左翼内ゲバ劇のような図ではないか。(142-3頁)


 なぜここで「新左翼内ゲバ劇のような図」という比喩が出てくるのだろうか。要するに自分は右翼であると言いたいだけなのだろう。

 「いじめ」はいじめのままに見守るしか解決の方法はないといえよう。(193頁)


 最後はいじめ礼讃である。それが著者の徳育なのだろう。


 更に言えば、文才に欠けているにも拘らず、酔い心地で書いている風が堪らなく嫌だ。特に吐き気を覚えた文章。

 ロハス思考とは「健康的で持続可能なライフスタイル」として話題になっている。それって何のことはない。良寛の生きた時代と、良寛がすでに達成していた生活スタイルの新しい言い直しにすぎない。(135頁)


 著者にはぜひ次の衆議院選挙に良寛党党首として立候補してもらいたい。首相になった暁には、江戸時代の越後を新たなグローバル・スタンダードとして提唱し、電気も車も廃止して、国民には農業か托鉢のいずれかで生計を立てるよう択一を迫り、生活に困れば娘を女郎屋に売り払うことも容認してもらいたい。
 自慢話をするためだけに書かれた学者某のモンテーニュ入門書以来、久々に超弩級のくず本を読んでしまった。


 良寛は私にとっては郷土の偉人であり、『定本 良寛全集』全三巻(中央公論社)を去年購入したこともあって、詳しく学んでみたいという気持ちはあったのだが、多分良寛ファンの多くは、講演会などでこの本の著者に惜しみない拍手を送るようなタイプなのだろうなと思うと、関わらずにおきたくなる。