本の覚書

本と語学のはなし

『感情教育』


フローベール感情教育』上・下(生島遼一訳,岩波文庫
 中学生で『ボバリー夫人』や『居酒屋』を読んだ時、自然主義はさっぱり面白くなくて、特に最後の50ページくらいが辛くてしかたなかった。『感情教育』も、案の定途中で退屈するというか、永遠に終わらないような感覚に襲われた。
 この書は作者自身も言うように「私の世代の精神史」、それも「感情のと言った方が一層真実」であるようなものであり、「愛、情熱の書」であるけれど、「この情熱は現在ありうるような、つまり不活発な情熱」なのである。フレデリック・モロー*1は決して我らがジュリアン・ソレル*2ではないのだ。
 解説を見ると幾つか批評家の言葉が引用されている。チボーデは「『感情教育』からは自己に本質的な持続をもって流れる一世代の人間のイメージが残る」と言い、シャルル・デュ・ボスは「この書物を一回読むことは元来あまり意味がない。しかし、この作品の作用(はたらき)を身にうけはじめると、それはいつまでも続くのだ。何ひとつ、ぐっとつかんでこない。しかし、すべてがにじみ出ている」と言った。
 退屈しながらもそのリズムが知らず知らずに作用し始めたらしくて、最後のアルヌー夫人との再会の場面や、旧友のデローリエ(共に人生に失敗した)と若い頃に「トルコ女の家」から遁走した話をいつまでも続けるあたりは、妙に感動的な気分になる。中学生の頃から、小説読みとしてちょっとは進歩したようだ。


感情教育〈上〉 (岩波文庫)

感情教育〈上〉 (岩波文庫)

感情教育〈下〉 (岩波文庫)

感情教育〈下〉 (岩波文庫)

*1:感情教育』の主人公。

*2:赤と黒』の主人公。