本の覚書

本と語学のはなし

The Moon and Sixpence


 久し振りに『月と六ペンス』の行方訳。そろそろオリンピックにも飽きてきたし、ちょっと過ごしやすくなってきたので、この辺で復活を。


□I am a little shy of any assumption of moral indignation. There is always in it an element of self-satisfaction which makes it awkward to anyone who has a sense of humour. It requires a very lively passion to steel me to my own ridicule. There was a sardonic sincerity in Strickland which made me sensitive to anything that might suggest a pose.


■ひとつには、僕は道徳面での義憤を表すことにいくぶん気恥ずかしさを覚えるからだ。そもそも義憤には、自分は正しいという自己満足の要素が必ずあるので、ユーモアの感覚のある人間は、ひとを非難するのが照れくさくなる。自分が笑われても構わないと覚悟を決めるには、よほど腹が立っていなくてはならない。ストリックランドには、他人が誠実か否かを皮肉に見抜く勘があるものだから、多少とも格好をつけていると疑われそうなことをする場合、こちらはどうしても慎重にならざるを得なかったのだ。


 原文は難しい単語があるわけでもなく、複雑な構文が入り組んでいるわけでもないが、かなり翻訳しにくい文章だ。行方はどう対処するのか。
 そのまま訳すと舌足らずな感じがするところでは付け加える。すると、「an element of self-satisfaction」が「自分は正しいという自己満足の要素」となる。
 構文が日本語に馴染まなければ、意味を汲み取り大胆な変更を加える。すると、「to steel me to my own ridicule」が「自分が笑われても構わないと覚悟を決めるには」となる。
 名詞の中に凝縮された動詞や文章をていねいに読みほどく。すると、「a sardonic sincerity」が「他人が誠実か否かを皮肉に見抜く勘」となる(正直言って、この訳は私には分からない)。
 英文の内に少しでも仮定や条件の含みがあると思えば、それを前面に押し出す。すると、「anything that might suggest a pose」が「多少とも格好をつけていると疑われそうなことをする場合」となる。


 時々やりすぎだとは思うけど、行方訳に学ぶと、翻訳は格段にうまくなる。