本の覚書

本と語学のはなし


柳父章翻訳語成立事情』(岩波新書
★小松達也『訳せそうで訳せない日本語 きちんと伝わる英語表現』(ソフトバンク新書)
トルストイ『人生論』(原卓也訳,新潮文庫
トルストイ『光ある内に光の中を歩め』(原久一郎訳,新潮文庫
トルストイイワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(望月哲男訳,光文社古典新訳文庫)
スタンダール『赤と黒』上・下(野崎歓訳,光文社古典新訳文庫)
★ミル『自由論』(山岡洋一訳,光文社古典新訳文庫)
★高津春繁・斎藤忍随『ギリシア・ローマ古典文学案内』(岩波文庫
★大橋吉之輔『アメリカ文学史入門』(研究社)
スラヴォイ・ジジェクラカンはこう読め』(鈴木晶訳,紀伊國屋書店
上野俊哉毛利嘉孝『実践カルチュラル・スタディーズ』(ちくま新書)
中村達也ほか『経済学の歴史 市場経済を読み解く』(有斐閣アルマ)
★平野仁彦ほか『法哲学』(有斐閣アルマ)


 『光ある内に光の中を歩め』は中学生の時に読んだはずだが、内容を全く覚えていない。当時はキリスト教を知らなかった。手元にないので確かなことは言えないが、岩波文庫の米川訳も私には合わなかったのかもしれない。
 『クロイツェル・ソナタ』はモーツァルトに復讐するために書かれたのだと小林秀雄が言った作品ではなかったかしら(記憶があいまいなので、真に受けないでください)。それで、モーツァルトを聞きながら読んだのだが、全然本に集中できなくて、私はもっと直截的暴力的に復讐したくなってしまった。と、そんな記憶しかない。
 岩波文庫で『イワン・イリッチの死』を読んだのはずっと後のことで、中島義道が『哲学の教科書』で紹介していたから。泊まりの仕事の待機中ということもあってか、やはり米川訳が合わないのか、それともトルストイとの相性がよくないのか、これもまた、そういう状況ばかりが思い出される。


 『赤と黒』を読んだのは、病院の事務員を辞めて、公務員試験の勉強をしていた頃。現在のフランス好みの原点である。岩波文庫の桑原・生島訳で大興奮したので、新訳が野崎によるものでなかったら、わざわざ買うこともなかっただろう。
 野崎のあとがきを見ると、プレイヤードの新編集版が出て、注釈も充実した。訳にもそれが反映されているらしい。
 例えば、冒頭の一文。これまでは、「ヴェリエールの小さな町は、フランシュ=コンテ地方でもっとも美しい町の一つといってよい」という風に訳されてきた。*1しかし、スタンダールにとって「小さな町」とはおよそぞっとしない、耐え難いものであるという。野崎訳ではこうなる。「ヴェリエールは小さいながらも、フランシュ=コンテ地方でもっとも美しい町の一つといってよい」。
 それがどうしたの、と言われそうだけど、翻訳って技術とか文体の問題だけでは終わらないということを、そっと教えてくれているのだ。
 ペーパーバックの原書を持っているので、参考までに冒頭の一文の原文を書き写しておく。何の変哲もない、小説の冒頭としてはそっけないくらいの文章だ。


 La petite ville de Verrières peut passer pour l’une des plus jolies de la Franche-Comté.


 4月からは読書家になりたい。

*1:桑原・生島訳では、「ヴェリエールの小さな町はフランシュ-コンテのもっとも美しい町の一つにかぞえることができる」。