本の覚書

本と語学のはなし

池内紀訳『変身』補遺


 昨日言及した池内訳の「ワヤワヤ」について。
 実は、すぐ後に「die zappelnden Beine」という表現があって、これも「ワヤワヤしている脚」と訳されていることを発見した。
 となると、池内は「flimmern」を「ワヤワヤ」と訳したのではなくて、池内の用いている版では原文が「zappeln」となっており、それをまっとうに訳しただけなのかもしれない。


 と、ここまで書いて、私が使っているレクラム文庫には、カフカ手稿の冒頭のコピーが付いていることに気がついた。いや、よく見れば表紙にもまさに問題部分がはっきりと印刷されている。カフカは三度『変身』を書いているそうだ。最初はノートに書き、次は雑誌に載せる際に清書して手を加え、最後に本にする際にまた手を加えた。レクラム文庫に載っている手稿がどの段階のものかは知らないが、それを見るかぎり「flimmerten」を書き直した形跡はない。
 やはり池内は「flimmern」をそのまま訳すのに抵抗を感じ、後出の「zappeln」を参考に因果関係をつきとめ、書かれた結果に対して書かれていない原因を訳出したということなのだろうか。


 もう少し池内の翻訳術に学ぶ必要がある。
 産業翻訳では真似てはいけない技術も多々あるだろうし、そもそも翻訳の考え方として納得できない部分もありそうな気はするが、解体と再構築の小気味よさは大いに参考になるはずだ。