本の覚書

本と語学のはなし

面接

 9年前、採用試験の面接で、現在は組織のナンバー2になっている人から、ギリシア語やラテン語なんて仕事に何の関係もないと突っ込まれた。
 履歴書の「趣味」の欄に書いたことにケチをつけたのだ。
 なんで「趣味」が仕事に直結しなくてはならないのかと思うが、それは措いておこう。意地の悪い言葉を浴びせかける面接テクニック(多分に何かのはけ口ではあるのだろうけど)も差し引いておこう。*1
 だが、個性豊かな国際都市を標榜する自治体の偉い人が、ギリシア語もラテン語も(したがってヨーロッパの古典文化も)否定し去るのは見識が低い。自治体職員の国際理解なんて所詮はこの程度のレベルなのだ。*2
 だから、私は一度も国際部門を希望したことがない。

*1:面接では、ギリシア語やラテン語を学びうる能力は決してささやかなものではないのであって、他のいかなる仕事にも応用可能なのだと答えておいた。妥当なかわし方ではあるけれど、重大な間違いがある。価値を認めない仕事には、決してその能力を適用することができないのである。

*2:別のところで(これは偉い人の話ではない)、マリアもイエスも童貞だなんて、あの親子は頭がおかしいんだね、と言って笑う職員を見た。そうなると、我々が西洋に学ぶのはただゲルマン魂だけということになるのだろうか。