本の覚書

本と語学のはなし

源氏物語(二)/石田穣二・清水好子校注

 「紅葉賀」から「明石」までを収録。小学館の新編日本古典文学全集で「花宴」まで読んでいたから、新潮日本古典集成は「葵」からの開始であった。当初、全訳がついていないのを心配して角川文庫版を入手したのだった。今は気になるところどころを参照する程度で、すべての訳文をいちいち確認することもなくなった。
 役所を辞めて以来、いろんなことを学んだ。数学や経済、金融のイロハを知った。小説を読むようになった。英語とフランス語の力が飛躍的に伸びた。そして最後に古文と漢文にたどり着いた。憂愁を抱えながら経済的安穏を懶惰に貪っていただけでは、きっとこのような道を歩むことはなかったはずだ。今はしかし、これがまさに私の来るべき道であったとしか思えない。

 許されて明石より戻り、帝と対面する場面。わずか三年の内に、帝はずいぶん衰えてしまった。年月の流れには、私も敏感になった。

 十五夜の月おもしろう静かなるに、昔のこと、かきくづしおぼし出でられて、しほたれさせたまふ。もの心細くおぼさるるなるべし。「遊びなどもせず、昔聞きしものの音なども聞かで、久しうなりにけるかな」とのたまはするに、


  わたつ海にしなへうらぶれ蛭の児の
   脚立たざりし年は経にけり


と聞こえたまへば、いとあはれに心はづかしうおぼされて、


  宮柱めぐりあひける時しあれば
   別れし春のうらみ残すな


いとなまめかしき御ありさまなり。(明石)

 十五夜の月が美しく物静かなので、昔のことをぼつぼつ思い出されてお泣きになる。何かお心細くお感じなのであろう。(主上)「管弦の遊びなどもせず、昔きいた楽の音なども聞かずに久しゅうなったことです」と仰せになるので、


  (源氏)「海辺に流浪して侘しい思いをしつづけ、あの蛭の子が足の立たなかった年数、
  三年を過ごしました」


と申しあげなさると、お心が動き、座にたえられないお気持ちがなさって、


  (主上)「諾冊の二神が宮柱をめぐって行き会われたように再会の時になったのだから、
  別れた春の恨みは忘れてもらいたい」


何とも優美な主上である。