本の覚書

本と語学のはなし

ガリア戦記/カエサル

 7年にわたるガリアでの戦闘の記録。淡々と客観的に描かれており、カエサル自身について語るときも、「わたし」ではなく「カエサル」と三人称が使われる。
 弁論にも長けていたと言われるが、文筆家としても一流で、『ガリア戦記』を読む人はただ単に歴史を研究するのではなく、その簡潔な文章術をも学ぼうとする。冒頭の一文は、古典教育が盛んであった頃であれば、皆かならず暗記していたものである。

ガリアは全部で三つに分かれ、その一にはベルガエ人、二にはアクィターニー人、三にはその仲間の言葉でケルタエ人、ローマでガリア人と呼んでいるものが住む。(1.1, p.23)

Gallia est omnis divisa in partes tres, quarum unam incolunt Belgae, aliam Aquitani, tertiam qui ipsorum lingua Celtae, nostra Galli appellantur.

 省略できる単語はすべて省略し、必要最小限の言葉で的確に情報を伝える。これも一つの名文なのである。
 ところで、ベルガエ人の住む土地というのは、ベルギーの辺りのこと。ケルト人(ローマ人のいわゆる「われわれの言葉では」ガリア人と呼ぶ)が住むのは、フランスである。アクィターニー人が住むのもフランスの一部であるが、後にモンテーニュを輩出するアキテーヌ地方のことである。
 モンテーニュはしばしばカエサルのこと、カエサルの著作のことを思考の材料としてとりあげる。モンテーニュカエサルを隔てるのは1500年、われわれとモンテーニュを隔てるのは500年ほどであるけれど、彼らの1500年の方が遥かに近いように思われる。

集まっていたエブローネース族とネルウィー族の部隊はこのことを知ると立ち去り、カエサルはこの事件後やや静かなガリアをもつことになった。(5.58, p.186)

Hac re cognita omnes Eburonum et Nerviorum quae convenerant copiae discedunt, pauloque habuit post id factum Caesar quietiorem Galliam.

 カエサルの軍隊は全部がローマ人であったのではない。ガリア人もいたし、ゲルマン人もいた。彼らの協力を得ながら、ガリア人やゲルマン人ブリタニア人(イギリスへも遠征している)と戦ったのである。
 カエサルは単に戦闘を行っていたのではなく、政治を行っていたのであり、戦うことよりも、いかに戦わずに済ませるかを考えていた。
 だが、なぜローマはあらゆる方面で覇権を握らなければ気が済まなかったのか。それは私にはよく分からない。ガリアは部族間でも、部族内でも、しばしば対立をしていたからまとまりはなかったけれど、それでも毎年のように反乱を繰り返すのは、理解できることであるのだけど。


 話は変わる。
 パートとはいえ一応仕事が決まったので(今月後半から勤務開始)、思い切ってプルタルコスセネカの原典と翻訳を、既に持っている分を除いて、一気に注文した。
 車の購入を除けば、これほど一度に使ったことのないような金額である。だが、どのみち買わなければいけない本である。低賃金を嘆いて財布のひもがかたくなる前に、買ってしまった方がよい。その代わり、今後はなるべく買わないことにする。今ある本だけを読み続けても、読み尽くすことはできないのだから、それで満足したい。
 本が届いたら、本棚の整理をする。かなり大掛かりな移動になりそうだ。処分する本もたくさんあるだろう。