本の覚書

本と語学のはなし

【モンテーニュ】賛成だとか反対だとか話す権利はたっぷりある【エセー1.47】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第47章「われわれの判断の不確実なことについて」を読了する。
 戦場での判断について、同じ戦略が正反対の結果を生み出す例を挙げながら、理性そのものも運命の不確実性に巻き込まれているのではないかと考える。
 ただし、そのことから直ちにモンテーニュの反理性主義が帰結されるわけではない。

C'est bien ce que dict ce vers:


   Ἐπέων δὲ πολὺς νόμος ἔνθα καὶ ἔνθα,


il y a prou loy de parler par tout, et pour et contre. (p.281)

 次の詩句は、至言と言えそうだ。


《エペーオン・デー・ポリュース・ノーモス・エーンタ・カイ・エーンタ》(ホメロスイーリアス』20の249)、つまり「どこでも、賛成だとか、反対だとか、話す権利はたっぷりある」というのだ。(p.255)

 カタカナの単語が羅列しているところは、ホメロスギリシア語をそのまま音写したところである。
 アクセントのあるところを伸ばしているようだ。必ずしも長母音を表しているのではないし、長母音であってもアクセントがなければ短母音のように扱われている。あまり見かけない表記法である。


 この箇所の訳注を書き抜いておく。

モンテーニュは、最初にギリシア語の原文を引いてから、それをフランス語に訳しているので、日本語訳はこのようにしてみた。ただし、『イーリアス』原典では、「ノーモス(法律、慣習)」ではなく「ノモース」(「地方、領土、牧草地」)なので、ニュアンスが異なる。参考までに、邦訳を引用しておく。「人間の舌というものは滑らかなので、その舌に乗る言葉は数も種類も多く、その拡がりは四方に向かって広大な範囲にわたる」(松平千秋訳、岩波文庫)。

 では、ホメロスの原文テキストがどうなっているかと言えば、

   ἐπέων δὲ πολὺς νομὸς ἔνθα καὶ ἔνθα.

である。「ノーモス」と「ノモース」と書かれれば別の単語かと思うかもしれないが、実のところ、どちらも「ネモー(分配する、放牧する)」という動詞から派生した同じ綴りの単語で、どちらも短母音だけからなる「ノモス」である。異なるのはアクセントの位置だけだ。
 ただし、ホメロスの時代には、まだ「法律、習慣」という意味の「ノモス」は使われていなかったと考えられている。
 これがモンテーニュの勘違いなのか、そのような解釈が広まっていたのかは、私にはわからない。この点だけでもって、モンテーニュギリシア語能力を判定することはできない。


 洗い場の面接に行ったら、フロントとして雇われることになってしまった。
 勤務は1時間長い。この1時間が実はかなり貴重であったのだが。長い分収入は増えるかもしれないが、洗い場の方がじゃっかん時給が高く、まかないも付くようなので、実質的にはたいして変わらないはずである。
 それに私に適性があるようには思えないのだ。
 契約社員の打診もあったが、それは断った(希望すればいつでも受け入れられるようだが)。収入はだいぶ増えるけれど(たぶん前の仕事と同レベル)、体によくなさそうな勤務である。精神的にも、深く関わりすぎない方がよろしいだろう。