本の覚書

本と語学のはなし

【モンテーニュ】自分の思いこみを死者に転移させ【エセー1.46】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第46章「名前について」を読了する。
 いろんな野菜が入っていてもサラダと総称されるように、名前に関する様々な考察を一括りにして「名前について」という考察にまとめたものである。
 たとえばアミヨがプルタルコスを訳したときに、人名をラテン語の形にしてフランス語化しなかったことに感謝したり、人を土地の名で呼ぶのは混乱のもとであると苦言を呈したり、モンテーニュ家の家紋が紹介されたりする。「青の地に、黄金の三つ葉模様をちらし、さらに同色のライオンの足を、グールの爪を添えて、紋章中央に横たえた」(p.249)のが、その家紋である。ライオンは前足一本であって、全体像ではない。
 だが、そうこうする内、人が名声を名前に括りつけてみたところで、それが何の役に立つのだろうかという疑念に襲われる。死んだ人間には名声を享受する術などないのである。


Les survivants se chatouillent de la douceur de ces voix, et, par icelles solicitez de jalousie et desir, transmettent inconsiderément par fantasie aux trespassez cettuy leur propre ressentiment, et d'une pipeuse esperance se donnent à croire d'en estre capables à leur tour. Dieu le sçait! (p.280)

あとに残された人々は、こうした甘い言葉にくすぐられて、羨望と欲望に刺激されて、軽率にも、まったくの想像によって、自分の思いこみルサンチマンを死者に転移させて、空しい希望から、自分にもそうしたことが可能なのだと思いこむのだ。そんなもの、神のみぞ知るではないか。(p.251-2)

 「自分にもそうしたことが可能なのだ」というのは、死んで自分の番がやってきたときには、死後の評判を黄泉で味わうことが可能なのだという望みのことを言うのであろう。軽率なファンタジーであり、空しい希望にすぎない。


 洗い場のパートに応募した。
 ハローワークの帰りに郵便局に寄り、速達で履歴書と職務経歴書を送ったら、翌日の朝一番に電話が来た。来月初めに面接が決まった。失業して9か月以上経つが、ようやくこれが2度目の面接である。