本の覚書

本と語学のはなし

サテュリコン/ペトロニウス

 ペトロニウスの『サテュリコン』とセネカの『アポコロキュントシス』を収録。この2人は、ともにネロの時代に生き、ともにネロに強いられ自殺したのである。


 『サテュリコン』は悪漢小説の元祖のような作品。現存する部分だけでも十分長いが、本来はその5倍はあったろうと考えられている。断片的であったりもするが、それはそれで面白い。
 遺産狙いの話が出てくる。

この町で、いかにも貧相な宿ではあったが、ともかくも休息し、元気をとりもどした。その翌日、外観の豪壮な邸宅を探しているうちに、遺産狙いの一行にでくわした。彼らは好奇心からぼくらが何者でどこから来たかと訊いた。そこであらかじめ相談して決めていた筋書きにそって淀みなく言葉を並べ立て、ぼくらが何者でどこから来たかを告げると、彼らはほとんど疑わずに信じてしまった。彼らはたちまち猛烈に競って彼らの財産をエウモルポスの上に積み上げた……(p.255)

 当時、子供のいない老人に遺産狙いで近づく輩は多くいたらしい。セネカの『生の短さについて』にも次のような言葉が見える。

何人もの相続人の葬儀で疲れ果てたあの老婆が君から奪った日数は〔何日あったか〕。遺産漁りの強欲を掻き立てようとして病人を装うあの老人が奪った日数は。(岩波文庫『生の短さについて 他二篇』、p.27)

 せっかく相続人の地位を得ても、老婆より先に死んでいったものの数は多い。今にも死にそうなふりをして、遺産狙いからかえって利益を得ようとする老人もいる。そんな連中にかかわって、君の大切な人生のいったい幾日が費消されてしまったのか。セネカはそう問うのである。
 ちなみに『サテュリコン』のエウモルポスもまた、よぼよぼの老人を演じているのであって、ベッドの下に人をもぐりこませ、背中で押してもらうことで、動かぬことになっている腰の手助けをさせたのだ。


 『アポコロキュントシス』は故クラウディウス帝を皮肉った風刺作品である。
 訳者の国原吉之助はだいぶセネカを高く買っているようで、個人的な恨みが執筆の動機であったなどということはあろうはずがないという。また、この作品を訳したのも、セネカが負わされがちな偽善者の汚名をそそぎたいからでもあるという。