本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】名誉を軽蔑したことを自分の名誉としようとする【エセー1.41】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第41章「みずからの名声は人に分配しないこと」を読了する。
 名声や名誉ばかりは、哲学者にだって完全に断ち切ることは難しい欲望である。
 だが、中には自分の名誉を犠牲にした例もないわけではない。後半はそういう話がいくつも挙げられている。


Car, comme dit Cicero, ceux mesmes qui la combatent, encores veulent-ils que les livres qu'ils en escrivent, portent au front leur nom, et se veulent rendre glorieux de ce qu'ils ont mesprisé la gloire. Toutes autres choses tombent en commerce: nous prestons nos biens et nos vies au besoin de nos amis; mais de communiquer son honneur et d'estrener autruy de sa gloire, il ne se voit guieres. (p.255-6)

キケロもいったとおりであって、そうした欲望を非難攻撃する人にしても、そのことを書いた書物の表紙に自分の名前を載せたいと思うのだし、名誉を軽蔑したことを、自分の名誉としようとするのだから。名誉以外のものは、すべてやりとりができる。友人が窮しているとあらば、われわれは財産や生命までも貸してあげるけれど、自分の名誉を分けたり、栄光を他人に授けることは、めったにみられない。(p.158)

 モンテーニュキケロの名誉欲にはうんざりしながらも、キケロの著作からは多くのことを借りてくる。ここに書いたような内容は、『アルキアース弁護』や『トゥスクルム荘対談集』などに見られるものらしい。
 一方、モンテーニュに多くを負いながら、彼を徹底的に嫌ったのは、パスカルであった。


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虚栄はかくも深く人間の心に錨をおろしているので、兵士も、従卒も、料理人も、人足も、それぞれに自慢し、自分に感心してくれる人たちを得ようとする。そして哲学者たちでさえ、それをほしがるのである。また、それに反対して書いている人たちも、それを上手に書いたという誉れがほしいのである。彼らの書いたものを読む人たちは、それを読んだという誉れがほしいのだ。そして、これを書いている私だって、おそらくその欲望を持ち、これを読む人たちも、おそらく……(p.106)

 宮下志朗の注釈にパスカルの借用・敷衍として引用されていたので、私もそっくり書き抜いておいた。
 私が持っている『パンセ』は中公文庫の旧版であるが、新版は年譜や索引などが増補され、小林秀雄のエッセイも付いているらしい。岩波文庫からは新訳が出ている。モンテーニュとの関係も詳しく指摘されていると言う(レビューを見ると、訳に疑問を感じる人が多くいるようだけど)。
 小林秀雄といえば、昨日モンテーニュの文体に触れたついでに思い出したのだが(その時には書かなかったのだが)、「よき細工は少し鈍き刀を使うという」という『徒然草』の言葉は、兼好自身の文体のことであると喝破したのだった。兼好は、モンテーニュがやったことを、彼が生まれる200年も前に、はるかに鋭敏に簡明に正確に、やってのけたのである。


 昨日、パートに応募したと書いたが、またもや書類選考で落とされる。それと同時に求人も削除されたから、私より前に応募した人に決まったらしい。
 さて、どうしたものか。ちょっと作戦を練り直さなくてはいけない。おそらくは車を買って、もっと選択肢を増やすべきなのだろう。