本の覚書

本と語学のはなし

【ギリシア語】羨みの対象となるものの大半が【敵から利益】

 プルタルコス『いかにして敵から利益を得るか』を読了する。


ὁ δὲ μὴ τυφλούμενος περὶ τὸ μισούμενον ἀλλὰ καὶ βίου καὶ ἤθους καὶ λόγων καὶ ἔργων γιγνόμενος θεατὴς δίκαιος τὰ πλεῖστα κατόψεται τῶν ζηλουμένων, ἐξ ἐπιμελείας καὶ προνοίας καὶ πράξεων χρηστῶν περιγιγνόμενα τοῖς κεκτημένοις, καὶ πρὸς ταῦτα συντείνων ἐπασκήσει τὸ φιλότιμον αὑτοῦ καὶ φιλόκαλον, τὸ δὲ χασμῶδες ἐκκόψει καὶ ῥᾴθυμον. (92C-D)

しかし、憎む相手盲目ではなく、その生活、性格、言葉、行動の正しい観察者となる者は、羨みの対象となるものの大半が、勤勉や思慮深さや有益な実践によってその所有者生じているのを見てとることになり、その方向に自分の名誉愛と美を愛する部分を傾注し苦労するようになり、無気力や怠惰を根絶するでしょう。(p.22)

 プルタルコスの原典講読で今でも一番苦労するのは、単語である。それほど一般的でない語が多用される。類語の羅列が甚だしく、合成語も頻繁に登場する。
 以前にも書いたけれど、オックスフォードの中型辞典には採用されていない語がごろごろとあるので、希仏辞典を使うようになった。これがまた、時間がかかる理由の一つになる。私のフランス語能力だけでなく、辞書の見づらさの問題でもある。


 加えて最近は、プルタルコスの悪辣な文章作法がだいぶ気になるようになった。過剰でありながら舌足らずな印象を受ける。
 読みにくさの一つの要因は、ギリシア語の能力を極限にまで推し進めた分詞の使用にあると思う。引用した文章は息の長い一つのセンテンスであるが、その中に7つの分詞が用いられている。原文とそれに対応する和訳の部分を太字にしておいた。
 分詞には能動もあれば受動もあり、名詞的であったり形容詞的であったり副詞的であったりする。細かいことを言えば、時制がアスペクトを表すこともある。
 われわれが接続詞を使いながら、いくつもの文章に分けて書くところを、一つに凝縮する。恐るべき饒舌の結晶であるが、それによって意味が明瞭になるわけではない。
 モンテーニュプルタルコスをフランス語で読んだのは正しい判断であったろう。ギリシア語で読もうとしたことがあったかどうかは知らないが、少なくともプルタルコスの文章がやっかいであることは承知していたようだ。同時代のちょっと先輩に、アミヨという優れた訳者を持ったのは大変な幸福であった。


 次にプラトンを読むことも考えたが、どのみち翻訳ではプルタルコスを全部読んでしまおうと思っているのだから(就職が決まらないので、本は買っていないが)、ギリシア語もプルタルコスである方がすっきりする。
 そんなわけで、明日からはプルタルコスの『どのようにして若者は詩を学ぶべきか』を始める。これも『敵から利益』と似たような論理が展開されるはずである。哲学や徳にとって、詩や歴史は有害でありうるかもしれないが、そこから却って学ぶこともあるということになろう。
 テーマの性格上、引用がいつもより豊富である。それが果たして吉なのか凶なのか。