本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】ブラン・デュ・ファ【エセー1.38/37】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第38章(第37章)「われわれは、同じことで泣いたり笑ったりする」を読了する。
 比較的短い章が多かったので、今月はたくさんの章を読むことができた。たぶん次の第39章(第38章)を終えるのは来月に入ってからになる。
 それにしても、仕事が決まってからも今のペースを継続することができるなら、原典での『エセー』通読も夢ではない。読み始めた当初には想像もしていなかったことだ。


Si ce n'estoit la contenance d'un fol de parler seul, il n'est jour au quel on ne m'ouist gronder en moy-mesme et contre moy: Bren du fat. Et si n'enten pas, que ce soit ma définition. (p.235)

ひとりごとをいうのが、狂人のふるまいでないとしても、とにかくわたしなんぞは、〈一日に一度は、いやほとんど一時間に一度は〉、自分のことを、「このくそばか野郎ブラン・デュ・ファ」とどやしつけている。それでも、これが自分の定義だなんていうつもりはないのである。(p.128)

 モンテーニュは使用人を叱るときは、腹の底から思い切り叱る。だが、癇癪が収まれば、必要に応じてその使用人を助ける。「ばか者」とか「うすのろ」と呼んだとしても、その称号をずっと彼に縫いつけておくつもりはない。ページは素早くめくられるのである。
 と書いて、少し反省したのだろうか。いやいや自分自身にだってひどい言葉を吐いているのだ、と付け加える必要を感じたのかもしれない。bren (bran)は文字どおり「糞」のこと。fatは「愚か者」のことである。


 訳文に山括弧で囲まれた部分がある。これは1595年版(宮下志朗が底本として使用)での加筆・訂正を表したものである。
 ただし、ボルドー本に依拠したフランス語テキストの方を見ると、「一日に一度は」の部分は存在する。注にも、1595年版で加えられているのは、“ny heure à peine, en laquelle“という文言であると書いてある。