本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】われわれは、あらゆる野蛮さにおいて彼らを凌駕している【エセー1.31/30】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第31章(第30章)「人食い人種について」を読了する。


Nous les pouvons donq bien appeller barbares, eu esgard aux regles de la raison, mais non pas eu esgard à nous, qui les surpassons en toute sorte de barbarie. (p.210)

したがってどうなるかといえば、われわれは彼らを理性レゾンという尺度で、野蛮バルバールだと呼ぶことはできても、われわれを基準にして、彼らを野蛮バルバールだと呼べはしない――われわれは、あらゆる野蛮さバルバリーにおいて彼らを凌駕しているのだから。(p.72)

 人食い人種(カンニバル)と言われているのは、最近発見された新大陸の人たちのことであるが、彼らが半ズボンも履かないからといって、決して劣った人種とみているのではない。
 もう少し前のところに、バルバールとソバージュという言葉をめぐって、似たようなことが書かれている。野蛮や未開という意味で彼らはソバージュなのではなく、自然が果実を育むような意味においてソバージュなのであると。
 近々、レヴィ=ストロース未発表講演録の翻訳がちくま学芸文庫から出版されるようだが、そのタイトルは『モンテーニュからモンテーニュへ』となっている(講演のタイトルではない)。モンテーニュ文化人類学に与えた影響は大きいのである。

Je parlay à l'un d'eux fort long temps; mais j'avois un truchement qui me suyvoit si mal, et qui estoit si empesché à recevoir mes imaginations par sa bestise, que je n'en peus tirer guiere de plaisir. (p.214)

わたしも、彼らのひとりと長時間話したのだが、通訳がわたしの話にうまくついてこられないのと、愚かさのせいで、わたしが思っていことをきちんと受けとめることができないのとで、まともな話はほとんど引き出せなかった。(p.79)

 モンテーニュが実際に新大陸の人を見たのは、1562年、ルーアンにおいてのことらしい。彼らは、「われわれとの関係から、自分たちの破滅が生じることも知らずに」(p.78)やって来たのである。
 モンテーニュは指揮官らしき男に聞いた。上に立つことで、どのような利益があるのか。戦争のときに、先頭に立って進むことである。戦争の終わりとともに、あなたの権威も終わるのか。村々を訪問すれば、森の茂みを切り開いて道を作ってくれる。そこを楽に通ってゆける。
 「わたしのところに、長いこと、ひとりの男を置いていたが、彼は今世紀に発見された、あのもうひとつの世界のうちで、ヴィルガニョンが上陸して「南極フランス」と命名したところ〔ブラジルないし南米大陸〕に10年ないし12年も住んでいたのだ」(p.59)。
 モンテーニュは同時代の人たちが体験し書き誌したものもよく読んでいたが、同時にこうした直接的な知識の源泉も持っていたのである。彼の屋敷には、カンニバルの用いる道具も収集されていた。