本の覚書

本と語学のはなし

【ギリシア語】クセノポンがなおざりではない仕方で【敵から利益】

δοκεῖ μοι τά τ᾽ ἄλλα περὶ ἐχθρῶν τῷ πολιτικῷ διεσκέφθαι προσήκειν καὶ τοῦ Ξενοφῶντος ἀκηκοέναι μὴ παρέργως εἰπόντος ὅτι τοῦ νοῦν ἔχοντός ἐστι καὶ “ἀπὸ τῶν ἐχθρῶν ὠφελεῖσθαι.” (86C)

それゆえ、敵に関しては他の事柄についてもよくよく調べることが政治家たる者にはふさわしいと思われますが、クセノポンがなおざりではない仕方で、知恵のある者は「敵から利益を得る」と述べたことに耳を傾けるのもふさわいいと私には思われます。(p.4)

 プルタルコス『いかに敵から利益を得るか』を始める。
 彼の晩年の友人で、アカイアの行政長官であったコルネリウス・プルケルという人物に捧げられた文章である。したがって、邦訳は丁寧文で書かれている。
 クセノポンの引用は、『家政論』第1巻15からだそうである。彼はソクラテスの弟子として、『ソクラテスの思い出』や『ソクラテスの弁明』なども書いたが、一方軍人としてペルシアに赴き、『アナバシス』や『キュロスの教育』なども残している。ジャーナリスティックな歴史家である。
 古い日本の古典学者が書いたものを読むと、だいたいクセノポンはけなされている。たとえば久保勉は、岩波文庫プラトン『饗宴』に序説を付して、こう書いている。「ソクラテスのもう一人の弟子クセノフォンもまた同じように彼を精神的中心とした饗宴シュンポシオンについて物語っているが、芸術的才能も哲学的素養もない、単純な一武人の手に成れるこの作――これがクセノフォンの真作であるとないとは別問題として――がプラトンのそれに比すべくもないことはいうをまたない」(岩波文庫『饗宴』序説、p.7)。巨人の肩に乗った者は、大概このように地上世界を睥睨するのである。
 プルタルコスもまた、「玄人」からは同じような評価を受ける。しかし、モンテーニュプルタルコスもクセノポンも好んで読んだ。後者については、どこかでははっきり、歴史家として高く買っていると書いていたように思う。
 我々はどんなものにも傾ける耳を持つべきだし、聞いたことを自分で判断する準備もしておくべきだろう。それを権威に預けてしまってはいけない。