本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】暗くてやりきれない夜でしかない【エセー1.28/27】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第28章(第27章)「友情について」を読了する。
 本来この章は、親友ラ・ボエシの『自発的隷従論』という論考を挿入するための前書きとなるはずであった。しかし、これが新教徒によって既に引用され、あるいは全文を掲載され、王制打倒の理論として用いられているのを見るに及び、断念した。
 代わりに次の章で、もっと罪のないソネットを載せることになった(後に削除される)。
 この第28章と第29章とは、『エセー』第1巻全57章の真ん中に当たる。ここにラ・ボエシの作品を埋め込もうとしたのは偶然ではない。モンテーニュの雇った絵描きが壁面に作業するのを眺めていると、中央の一番いい場所に丹精込めた絵を描き、その周りをグロテスク模様で埋めていく。それを真似てみようという気になったのだと、冒頭で自ら言っているのである。


Car, à la verité, si je compare tout le reste de ma vie, quoy qu'avec la grace de Dieu je l'aye passée douce, aisée et, sauf la perte d'un tel amy, exempte d'affliction poisante, pleine de tranquillité d'esprit, ayant prins en payement mes commoditez naturelles et originelles sans en rechercher d'autres: si je la compare, dis-je, toute aux quatre années qu'il m'a esté donné de jouyr de la douce compagnie et société de ce personnage, ce n'est que fumée, ce n'est qu'une nuit obscure et ennuyeuse. (p.193)

本当のところ、このわたしは、それはたしかに、神さまのお恵みによって、この人生を心地もよく、くつろいで過ごすことができて、あのような友人を失ったことを除けば、重苦しい悲しみとも縁もなしに、心は静けさにみちあふれていて、生まれついての恩恵をすなおに受け取って、それ以上を求めることはしてこなかった。だが、こうした人生でも――あえて全生涯といわせてもらうけれど――それを、あの人との甘美なる交わりや付き合いを享受すべく与えられた、あの四年間と比較するならば、それはもう、はかない煙にすぎず、暗くてやりきれない夜でしかないのだ。(p.36)

 私にはこの2人の友情にはついて行けないのだが、おそらく古代の理想を競って若い自分たちの友情に投影したのだろう。とうとうモンテーニュギリシアやローマの先例を見ても、とうてい満足できないところにまで達してしまう。

L'ancien Menander disoit celuy-là heureux, qui avoit peu rencontrer seulement l'ombre d'un amy. Il avoit certes raison de le dire, mesmes s'il en avoit tasté. (p.193)

その昔、メナンドロスは、ひとりの友の影に出会っただけでも、その人間は幸福であるといった。まったくもっともな話で、もしも実際にそうした経験をしたというなら、なおさらそうだ。(p.35-36)

 これはその一つ前の文章。ヴィレを見ても、宮下を見ても、プルタルコス『兄弟愛について』(479C)を参照しているのだと注釈している。たしかにそこでは4行にわたりメナンドロスが引用されている。
 だが、先日の記事に書いたとおり、プルタルコスは『多くの友をもつことについて』(93C)でも、1行にすぎないけれど、肝心な部分を引用している。
 補完のため指摘しておく。

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