本の覚書

本と語学のはなし

【ラテン語】皆、暗中模索【幸福な生】

 ラテン語の原典講読は、今日からセネカの『幸福な生について』を始める。
 引用は冒頭の一文である。

Vivere, Gallio frater, omnes beate volunt, sed ad pervidendum, quid sit quod beatam vitam efficiat, caligant ; (1.1)

ガッリオー兄さん、幸福な生を送りたいというのは人間誰しもが抱く願望だが、幸福な生をもたらしてくれるものが何かを見極めることとなると、皆、暗中模索というのが実情だ。(p.133)

 「ガッリオー兄さん」と呼びかけられているのは、セネカの兄ルーキウス・アンナエウス・ノウァートゥスのことで、父の友人の弁論家ユーニウス・ガッリオーの養子となった人である。『怒りについて』も彼に献呈されている。執政官にまでなったが、後に自殺した。
 だが、彼の名を歴史にとどめたのはセネカのお蔭だけではない。むしろそれ以上に、聖書に登場したがために、永遠の不名誉を頂戴することになったのである。


 「使徒言行録」18章12-16節に、アカイア州総督として出てくるガリオンがそれである。

ところが、ガリオンがアカイアの総督であったとき、ユダヤ人たちは一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行った。そして、「この男は、律法に反する方法で神を崇めることを、人々に説き勧めています」と訴えた。パウロが口を開こうとすると、ガリオンはユダヤ人に向かって言った、「ユダヤ人の諸君、もしこれが不正行為や悪質な犯罪などのことであるなら、わたしは当然、諸君の訴えを取り上げるのだが、問題が言葉や名称やあなた方の 律法に関するものであるなら、自分たちで始末するがよい。わたしはそのようなことの裁き手になりたくはない」。そして、彼らを法廷から追い出した。そこで、みなの者は、会堂司ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。しかし、ガリオンはそのようなことは、少しも意に介さなかった。(フランススコ会訳)

 ガッリオー(ガリオ、ガリオン)としては宗教上の争い(伝統的なユダヤ教と新興のキリスト教)に介入したくはなかったのだろうし、ローマの知識人がギリシアで興味を持つような話でもなかったのだろう。
 だがこの数行のために、彼の名は職務怠慢、責任回避の代名詞となってしまった。『リーダーズ英和辞典』でGallioを引くと、セネカの兄などという説明はなく、ただ「職掌外の責任を回避する人[役人]」とのみ書いて、その由来が添えられているだけである。


 一方、あまり知られていないかもしれないが、この人が聖書学に与えた影響もまた甚大だ。
 パウロの生涯は「使徒言行録」によってだいぶ知られているとはいえ、その年代までは分からない。唯一確実な点が、このガッリオーとの接点なのである。
 20世紀初頭に発見された「デルフォイガリオ碑文」というものがある。そこからガッリオーのアカイア州総督の在任(所定で1年)が、後51年から52年であったと考えられるのである。