本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】本当にエジプトから来たわけではなくて【エセー1.14】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第14章から。

Et ces Egyptiennes contrefaictes, ramassées d'entre nous, vont, elles mesmes, laver les leurs, qui viennent de naistre, et prennent leur baing en la plus prochaine riviere. (p.58)


 先ずは宮下志朗訳。
 底本は一般的なボルドー本ではなく、1595年版である。宮下訳ではこの箇所は第1巻第40章になるので、注意されたい。

ジプシーの女たちエジプシエンヌにしても――いや、ジプシーといったって本当にエジプトから来たわけではなくて、われわれのなかからかき集められたりしているのだが――、生まれたての赤ん坊を自分で、近くの川に連れていって洗ってやり、ついでに自分も水を浴びている。(p.183)

 太字にした部分は、原文の「contrefaictes」1語を敷衍して訳したものと思われる。
 「ジプシーといったって本当にエジプトから来たわけではなくて」と言われたって、普通われわれはジプシーとエジプトの関連を知らないから、何のことだか分からない。
 宮下の注には、こう書いてある。

(25) 現在では「ロマ Roma」という自称で呼ばれる「ジプシー」だが、その語源は、フランス語(Gitan)も英語(Gypsy)も、「エジプト」から来ている。ただしエジプトといっても、東方の異国といったイメージであったものと思われる。(p.201)


 次に関根秀雄訳。

それから、我々の間にちょいちょい見受けられるあの醜いなりのジプシー女たちは、もよりの河に行って産んだばかりの赤ん坊を自分で洗い、自分もそこで水浴をする。(p.104)

 「contrefaictes」が「醜いなりの」とされている。
 これは語訳であろう。確かにそういう意味もあるのだが、ここでは「偽の」というほどのことである。モンテーニュが「エジプト女たち」と書いているのを(もちろん両義ではあるのだが)「ジプシー女たち」と訳してしまったから、そこに「偽の」という形容詞をつけることが出来なくなってしまったのだ。


 続いて原二郎訳。

また、われわれの国で暮らしているジプシー女たちも生まれたばかりの子どもを自分で洗い、自分も最寄りの川で水浴をする。(p.104)

 「contrefaictes」が訳出されていない。「エジプト女たち」を「ジプシー女たち」と訳せば、そういうことになる。
 ちなみに原訳では、出産直後の子どもを自分で洗い、その後近くの川で自分の身をきれいにすると言っているようだが、「最寄りの川で」というのはどちらにもかかると考えるべきものだろう。


 ランリの現代フランス語訳。

Et ces fausses Égyptiennes, mal vues parmi nous, vont elles-mêsmes laver les leurs, qui viennent de naître, et prennent leur bain dans la plus proche rivière. (p.72)

 現代語で「contrefaites」とすると通りが悪いようで、「fausses」と言い換えている。英語の「false」に相当する単語である。
 注には「Il s’agit des « bohémiennes ».」とある。


 フレイムの英訳。
 最近必ず参照しているのがこの訳である。相性がよいようで、これを読むとクリアにモンテーニュを理解した気になれるのである。

And those counterfeit Egyptian women who have shown up in our midst go themselves and wash their newborn children and take a bath in the nearest river. (p.47)

 「counterfeit」は語源的にはフランス語の「contrefait」から来ているようである。モンテーニュが使った言葉を、そのまま英語にしてくれたのである。
 注には一言「Gypsies」と書かれている。


 最後にスクリーチの英訳。

And Gypsy women (not real Egyptians; but ones recruited from among ourselves) go and personally bathe their newborn infants in the nearest stream and then wash themselves. (p.61)

 説明的に訳している。宮下訳はこれを参考にしたのかもしれない。と言うより、ほぼそのままという感じがする。


 何をメモとして残したかったのかと言うと、翻訳を信用しすぎてはならないということではなくて、ジプシーの語源がエジプト人であったということである。