本の覚書

本と語学のはなし

モンテーニュ全集3 モンテーニュ随想録3/モンテーニュ

 第1巻第43章から第2巻第11章まで。
 第2巻第10章「書物について」から、以前にも引用したことがあると思うが、ウェルギリウスの評価が書かれている部分を書き抜いてみる。

 だがもう一度書物の話をつづけると、詩の方ではヴェルギリウスルクレティウス、カトゥルス、ホラティウスが、ずばぬけて最前列を占めているように、いつもわたしには思われた。特にヴェルギリウスがその『田園詩』において群を抜いている。これこそ詩の最も完全な作品だと思う。これにくらべるとあの『アエネイス』の中には、もし著者にその暇があったならばおそらく幾回かの推敲を加えたであろうと思われるふしぶしがあるのを、人は容易に認めることができる。(p.254-255)

 ここで『田園詩』と訳されているのは『牧歌』ではなく(『牧歌』を『田園詩』と訳した例もあるが)、『農耕詩』のことである。
 モンテーニュは歴史を好み、プルタルコス(アミヨのフランス語訳で読んだ)とセネカを愛したが、詩に対する感覚も確かなものを持っていた。
 プルタルコスセネカを原典講読するのもいいかもしれないが、今更本を集めるのも大変だし、分量も馬鹿にはならないので、そこには手を出さない。その代わり、ウェルギリウスには可能な限り接していきたいし、モンテーニュが言及することはほとんどないと思うけれど、ホメロスに触れることも意味の無いことではない。


 新約聖書ギリシア語とラテン語で読む方がよほど楽であり、そちらの方へと傾きかけることも度々ある。それを思いとどまるために書いている。