本の覚書

本と語学のはなし

【購入】三たび彼女は転倒し【ウェルギリウス・ルクレティウス】

ローマ人の母、人間と神々のよろこび、
養い親ウェヌスよ、大空の滑り動く星座の下で、
あなたは船を浮かべる海に、実りもたらす大地に、いのちを溢れさせる。
生きとし生けるものは、みなあなたによってこそ、
はらまれ、生まれ出でては日の光を見るのだから。

 筑摩書房の『ウェルギリウスルクレティウス 世界古典文学全集21』を入手したので、先日引用した『事物の本性について』冒頭部分の訳を書き抜いてみた。
 樋口は散文で訳していたが、こちらは一応詩の形をしている。概ね原詩と訳詩の行は一対一で対応しているようである。
 原文に取りかかる前に、先ず藤沢・岩田訳を通読しておこう。
 なお、藤沢令夫は西洋古典学の専門家であるが、岩田義一は物理学者である。プラトンなどの研究で有名な田中美知太郎と岩田の旧訳を元に、藤沢が検討を加え、岩田が稿を改めたのがこの訳であるという。


 この本には、ウェルギリウスの『アエネーイス』も収められている。泉井久之助の訳である。岩波文庫に入っているものは、筑摩書房の訳に手を加えたものである。
 七五調の独特な訳で決して読みやすくはないけれど、岩波文庫で一度読み通したことがあるし、『事物の本性について』とセットになっているし、今回も先ず全体を把握するためには、泉井の訳を読んでおこう。
 もっと新しいものでは、京都大学学術出版会の岡道男・高橋宏幸訳や新評論杉本正俊訳があり(杉本の散文訳は最もリーダブルだと言われているようだ)、いずれも手元にあるのだが、訳文を見るのは原文と比較するときまで待つことにする。


 泉井久之助の七五調のサンプルを挙げておく。
 第4巻690行前後(原文では688-692行であるが、原文の1行を1行で訳しているわけではないので、ずれが生じる)。死にゆくディードーの描写。

ディードーまなこを苦しげに、開いて見上げる努力して、
しかもたちまち崩折れる。その胸ふかく突き入った、
傷は内らに湧いて鳴る。三たび彼女は褥より、
その身を立ててその肘に、力を入れて起き上がる。
三たび彼女は転倒し、褥に落ちて定まらぬ、
まなこをもって高天に、光を求め求め得た、
かすかの光に苦悩する。

 形式に当てはめるために、無理をして原文の意味を損なっているのではないかと思うかも知れないが、案外正確な訳であると、以前原典講読していた頃に感心した記憶がある。しかし、引き延ばされたり縮められたり、何か縮尺に歪みがあるようには感じられた。好みであるかと聞かれれば、はっきりノーと言いたくなるだろう。


 参考までに、岡・高橋訳。原文と一対一対応。

姉〔ディードー〕のほうからも重い眼差しを起こそうと試みたが
力が及ばない。深く貫かれた傷が胸の底に風音を立てる。
三度、身を起こそうと、肘を支えに体を持ち上げたが、
三度、床に転び伏した。どこを見るのか定まらぬ目で高き
天なる光を求め、それが見つかると深く嘆息した。


 そして杉本訳。自由な散文訳。

すると姉〔ディードー〕は、重いまぶたを開こうとした。しかし、力尽きてぐったりと倒れた。胸の傷が喘音をたてていた。彼女は、三度、肘で身を起こそうとした。しかしそのたびに褥の上に転がった。彼女は、目線をさまよわせ、遠い天空の光を求めた。そしてそれを見つけると、深いためいきを漏らした。

 690行と691行の冒頭に繰り返される ter(三度)はかなり強い強調であるはずで、そこをあっさり訳しすぎているように思われる。
 原文と突き合せるというよりは、気楽に通読するための翻訳である。