本の覚書

本と語学のはなし

モンテーニュ全集6 モンテーニュ随想録6/モンテーニュ

 第3巻の第1章から第8章までを収める。
 『エセー』の本文には、書かれた時期によって(a), (b), (c)の表示をするのが普通である(宮下志朗訳では採用していない)。(a)は1580年版、(b)は1588年版、(c)はそれ以降に書き加えられたものである。第3巻は1588年版で増補されたものであるから、テキストには(b)か(c)の表示しかない。


 第3巻に入って、いよいよモンテーニュモンテーニュらしくなるとよく言われる。書誌学的なところが減って、思考が自由闊達に動き回る。先ず第3巻から読んだらよいと勧める人もある。
 その一方であまりに奔放な構成に、乱雑なしまりのない思考の流れしか見ない向きもある。これがモンテーニュの芸術であり、至芸であると理解するのは容易ではないかも知れない。
 私としては、先ずは第1巻から順番に読んで(第1巻や第2巻だって端正な思考の歩みを期待するべきではないし、(b)や(c)の挿入も時に我々を横道にそれさせる)、その後ようやく第3巻の混沌に解き放たれるのが、一等よいモンテーニュ体験となるのではないかと考える。


 訳者の関根秀雄は第5章「ヴェルギリウスの詩句について」と続く第6章「馬車について」を随筆文学の大傑作と激賞している。タイトルに騙されずに(モンテーニュのタイトルは大抵読者を欺く)、せひ読んでみていただきたい。
 前者は主にエロスについて、後者はヒューマニズムについてといったところか。