本の覚書

本と語学のはなし

人と思想22 ニーチェ/工藤綏夫

 ドイツ語の専門をニーチェにすると決めてはみたのだが、最後にニーチェを読んだのは恐らくもう20年くらい前のことで、その時ですら既に私にはツァラトゥストラが必要だとは思われなくなっていた。真昼の哄笑も黄昏れるのである。
 改めて入門書を読むと、永劫回帰とか運命愛とか超人とか権力意志とか、学生の頃だって納得した覚えのないキーワードたちが、腹立たしいほど空疎に感じられて仕方なかった。ニーチェの魅力は定式化された思想にあるわけでないし、彼の思想はニーチェにとって自分のためだけの私的な処方箋に過ぎないのかも知れないけれど、何が彼にそれを口走らせたにしろ、彼がその結論に飛びつくときには、私はどうしてもそこまでついて行くことは出来ないだろう。
 哲学者としてのニーチェは信用しない。だが、インモラリストとしてのモラリストであるニーチェの文章には、大袈裟な身振りがくどく感じられることはあるものの、抗しがたい魅力がある。ビューヒナーに戻ることも考えたが、彼の遺稿は少ないわけだし、そう慌てることもない。ニーチェの文章を味わうことが、その哲学に決して首肯し得ないにもかかわらず、果たして可能であるのか、もう少し探ってみたい。