Die Bibel. Lutherbibel. Schwarze Standardausgabe 1984. Mit Apokryphen
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: ハードカバー
だが、まだ迷いはある。私にとって、繰り返し読みたいものであるか。読む度に得るところのあるものであるか。その死が早すぎたのではないか。
死後に残された手稿の判読や配列などの、テキストの問題も決して小さくはないようだ。
ともかくも、早く邦訳の全集を一読してみなくてはならない。
ドイツ語訳聖書の感触も確かめてみることにした。ビューヒナーを諦めるとすれば、そしてドイツ語を諦めないとすれば、次の候補は聖書になる。
聖書の問題は、第一にヘブライ語やギリシア語からの翻訳であること。その翻訳調が時に非常に分かりにくいこともあるだろう。
第二に、2年くらいでの通読を目指すとしても、日々読むべき量が結構多くなること。
私が持っているドイツ語聖書はルター訳の1984年改訂版。
ルターの聖書は16世紀に訳されたものであるけど(1534年版や1545年版のファクシミリも入手可能)、現在に至るまで何度も改訂されて、現代語として読むことが出来るようになっている。一番新しいのは、宗教改革500年を記念して作られた2017年版。
アポクリファも付いている。ルターは外典も訳したのである。ただし、正典とは切り離して、旧約聖書の後ろに付録のように配置している。
申命記1章17節。
Beim Richten sollt ihr die Person nicht ansehen, sondern sollt den Kleinen hören wie den Großen und vor niemand euch scheuen; denn das Gericht ist Gottes. Wird aber euch eine Sache zu schwer sein, die lasst an mich gelangen, damit ich sie höre.
あなたたちが裁くときに、人を偏り見てはならない。あなたたちは、身分の低い者にも身分の高い者と同じように耳を傾けなければならない。あなたたちは人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に関わることだからである。あなたたちの手に負えない難しい事件は、私のところに持って来なさい。私がそれについて聞くことにする。
‘die Person ansehen‘ は、文字通りには「人を見る」ということである。文語訳では「汝ら人を視て審判すべからず」とある。
岩波聖書の注には、「原文の動詞は『顔を識別する、目を止める』で、人の顔色をうかがう行為に通じる」とある。