本の覚書

本と語学のはなし

ブラウン神父の秘密/G. K. チェスタトン

 ブラウン神父の方法とは、外からの観察によって客観的な分析をすることではなく、他者の心を自分の心として深く沈潜し、その思考と行為の必然を見出すことであった。
 これをカトリック神秘主義の例として数えてよいのかどうか私は知らないが、ブラウン神父によればこれもまた宗教訓練の一つであるらしい。

わたしに殺人犯の心情が実感できるようになるまで、そのことを考え抜きました。凶行に踏み切ることを自分に許しこそしなかったが、そのほかの点ではまったく殺人犯になりきったのです。このやり方は、宗教修行の一法として、昔友人から教わったものです。友人はこれをレオ十三世、若いころのわたしの英雄だったさきの教皇レオ十三世から学んだようです。(「ブラウン神父の秘密」p.18)

 ブラウン神父が犯罪を恐ろしいと思うのは、自分でもそれをやりかねないと思うからであった。

悪魔を否むには二つのやり方があります。その違いは、ことによると現代宗教を二分する最大の溝なのかもしれません。一つのやり方は、我々からあまりに縁遠いものだからということで悪魔をいみきらうことです。いま一つは、我々にあまりに身近なものなので悪魔を恐れしりぞけることです。その二つはどちらも徳行なのだが、相へだたること徳行と悪行のいかなるへだたりよりも甚だしい (「フランボウの秘密」p.283)

 ここに告解の秘跡の秘密もあるようだ。