本の覚書

本と語学のはなし

美しきカサンドラ ジェイン・オースティン初期作品集/ジェイン・オースティン

 後年の長編に直接接続するような、幼い可憐な恋するジェインを想像して読むと、恐らく失望するであろう。

ドゥーディー*1は、オースティンの初期作品に見られる特徴として、人間の持つ貪欲さや暴力性、カニバリズム的な描写、犯罪的な手段を使って平気でお金を手に入れることなどをのびのびと直接的に描いていることを挙げている。(あとがき p.285)。

 親しい人たちの間だけで楽しんでいた、ごく私的な文章の数々は、奔放な想像力に溢れ、後年の写実とはまた別の魅力を持つものであった。これは知られざる傑作ではないかと、私は思う。
 同じような評価をする人もあった。ブラウン神父のチェスタトンである。

ジェインの発想力をラブレーディケンズにつながるものとしてG・K・チェスタトンが評価したのを受けて、ドゥーディーはそれがイタロ・カルヴィーノホルヘ・ルイス・ボルヘスといった二十一世紀の作家たちにもつながるほどの力強さと奔放さを持っていたのに、彼女をとりまく時代の風潮がオースティンにその想像力をしぶしぶ放棄させることになったのだと結論づけている。(同 p.286)

 ドゥーディーが言う「しぶしぶ放棄」ということがどれほど当たっているかは分からない。長編がオースティンの表向きの姿だからといって、必ずしも偽りの姿とは限らないだろうし、長編の至る所に彼女のプライヴェートな嗜好の伏流が見え隠れする。


 この本に収められたのは、オースティンが3冊のノートに清書した内の最初の2巻。
 第3巻は「イヴリン」と「キャサリン」であるが、これは先日読んだ『サンディトン ジェイン・オースティン作品集』の中に入っている。
 なお、『美しきカサンドラ』にも『サンディトン』にも収められていない作品が1つある。「レイディ・スーザン」である。これは既に翻訳が出ているので、この企画では省いたとのことである。
 従って、次に読むのは惣谷美智子訳の「レイディ・スーザン」ということになる。

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*1:1993年に出版されたオックスフォード・ワールズ・クラシック版『キャサリン、その他の作品』の編者。