本の覚書

本と語学のはなし

シャーロック・ホームズ全集 第8巻 恐怖の谷(下)/コナン・ドイル

 『恐怖の谷』の後半、「黄色い顔」と「ギリシア語通訳」(ともに『思い出』所収)の短編2編、ベアリング・グールドによる短い解説1編を収める。


 帯に「名探偵をだました女、エフィー・マンロー」とあるが、「だました」というのは言いがかりではないだろうか。
 探偵は言う。

「ワトソン君、ぼくが自分の能力に少々過信したり、事件のために当然の努力を惜しんでいるように思えることがあったら、ぼくの耳元で『ノーベリー*1』とささやいてくれたまえ。いくらでも恩に着るよ」(「黄色い顔」p.185)

 反省しているのは、ホームズが仮説に過ぎないものを事実と信じ切って行動したからである。
 意地の悪い見方もあって、マンロー夫人の説明は全て嘘であるとする人もあるようだが、仮に彼女が嘘つきであったとしても、ホームズが推理を誤ったのはそのせいではないし(ホームズの行動は説明以前になされたものである)、彼女は探偵を騙すつもりでもなかった(そもそも初見のホームズを探偵と思っていたかも疑わしい)。
 彼女の説明が嘘であって、その嘘が専ら夫を騙し、自らの保身を図るためであったとしても、その嘘の説明にホームズも騙されてしまった。そして騙されたことに気がつかず、ただ最初の推理の誤っていたことだけを反省した。そういう意味でホームズが騙されたのだと主張するのであれば、それはどうぞご勝手にと言うしかない。

*1:ノーベリーはロンドン近郊にある地名で、「黄色い顔」の舞台となったところである。