本の覚書

本と語学のはなし

シャーロック・ホームズ全集 第9巻 四つの署名/コナン・ドイル

 長編『四つの署名』のみを収める。
 タイトルはこれまでの『四つの署名』を踏襲しているが、「四つの署名」とは実際には署名代わりのしるし「✝」が四つ並んでいるものを指しているので、本文中でこの語が用いられるときは「四つのしるし」(または「四人のしるし」)と訳されている。
 ちなみに河出書房新社版ではタイトルも『四つのサイン』である。


 東京図書の全集(ちくま文庫の全集も同じだろうと思う)はシャーロキアンによる研究成果が注にふんだんに盛り込まれていて、それなりに面白いのだが、困ったことに時々解説が小説を先取りしてしまう。場合によっては結末すら分かることがある。
 シャーロック・ホームズを初めて読む人、筋を完全に忘れるほど久し振りという人には、一般的に言ってお勧めできない。私自身が後悔しているというわけではないが。


 翻訳で気になったところ。

少佐を殺した時には、これはただの殺人ではなく、四人組の立場からは一種の正義の制裁であることを示すために、死体の上に何かそういった書き置きを残そうと、前々から思っていたにちがいない。(第七章 樽のエピソード,p.96)

 殺したらしようと思っていたことをやったのだから、殺人が行われたのだ。だが、殺人だったとすれば、ちょっと前の少佐の死の記述とは明らかに矛盾する。ワトソンの大胆な不注意に過ぎないのか。しかし、これほどの矛盾に何も注釈が付かないのも不自然ではないか。
 疑問が頭の中を駆け巡りながらも、そのままにしておいたのだが、その後の記述を見ても、やはりこれは殺人ではない。


 河出書房新社版を見てみる。

万一、少佐を殺したら、これは普通の殺人ではなく、四人の仲間の立場からすれば、一種の制裁なのだということを示すために、死体の上に何か残そうと前々から思っていたに違いない。(第7章 樽のエピソード,p.86)

 大きな違いがあるわけではないが、これは仮定法で書かれているんだなとようやく理解した。
 もし殺人を犯すようなことがあれば、正義のしるしとして、死体の上に紙切れを置こうと考えていた。ところが相手は病気で死んでしまった。しかし、宝を求めて家に忍び込んだ時、温め続けていたアイディアを捨て去ることは出来ず、病死の遺体の上に四人のしるしを書いた紙を残したのである。


The New Annotated Sherlock Holmes: The Novels

The New Annotated Sherlock Holmes: The Novels

He had doubtless planned beforehand that, should he slay the major, he would leave some such record upon the body as a sign that it was not a common murder but, from the point of view of the four associates, something in the nature of an act of justice. (Chapter VII The Episode of the Barrel, p.292)

 原文を見てみると、案の定、高校時代に「もし万が一の if ~ should ~」と覚えるタイプの仮定法が用いられている。ここでは if が使われない代わりに、should が前に来て条件節となっている。


 殺すべきを殺して為すべきを為した、と最初に私が勘違いしたのは、私の読解力の欠如に専ら責任を帰すべきだろうか。
 慎重に読めば最初の訳文だけでも十分正しい読みは出来ていただろうと思う。しかし、初めから二番目の訳文を読んでいたら、愚かな誤読はなかったようにも思われる。
 まあ、微妙な問題ではある。


【家庭菜園】
 トウガラシを片付けて、いよいよ夏の野菜は姿を消した。
 11月に入って1週間ほど放置していたのだが、もう実が大きくなることはなかった。この辺りでは、秋というより既に冬の入り口である。


 畑にあるもの。
 ニンジンとダイコンはまだ収穫していない。後者の生育状況はばらばら。何がどう影響しているかは知らない。
 カブは小さいのが2つ残っているが、これ以上は大きくならないかもしれない。
 ホウレンソウは全然成長しない。収穫は無理だろう。
 タマネギは順調かどうかは分からないが、今のところ失敗ではなさそう。


 来年は長ネギを作ってみたい気もするけれど、苗床を用意したり、何度も土寄せしたりするのが面倒臭い。トータルの栽培期間もちょっと長いようだ。