本の覚書

本と語学のはなし

藤本和子の訳

 だいたい読書の予定なんて破るために立てるもんだ。破るんなら早ければ早いほどいい。今日はアメリカ文学ではなくてフランス文学の日のはずなんだが(いや、スタンダールも後で読むつもりではあるのだが)、ローテーションなんて面倒臭い。古文を止めればそれで済む話ではないか。
 ついでに言っておくが、ヘブライ語聖書もギリシア語聖書もいっぺんに読んだらいい。キリスト教を勉強するんだったらそれが当然ではないか。古文を止めるなら、職場の和歌も見直すべきだ。人目なんぞ気にせず、ガシガシと聖書ばかりに齧りついていればよいのだ。

 と自分に毒づいてみたが、話は『アメリカの鱒釣り』の藤本和子訳のことである。原文が割と簡単でたいして参照しなくてもいいのだが、幻想的傾向のあるブローティガンの言語は写実的な感覚からは信用し難いところがあって、ときどき、はてさて何のことか、となるのだけど、藤本和子の訳は適度に脚色されていてなかなか面白い。
 ただ、ちょっと疑問に思ったところがあるので書き抜いておく。「クールエイド*1中毒者ワイノ*2」の最後の部分。

 You’re supposed to make only two quarts of Kool-Aid from a package, but he always made a gallon, so his Kool-Aid was a mere shadow of its desired potency. And you’re supposed to add a cup of sugar to every package of Kool-Aid, but he never put any sugar in his Kool-Aid because there wasn’t any sugar to put in it. (p.12)

 クールエイド一袋で二クォート分をつくるのが普通だが、かれはいつもその二倍、一ガロンの水を使った。だから、かれのクールエイドときたら、いわば理想的な濃度の影にすぎなかった。それに本来は砂糖を加えるべきなのに、そうしたことはしない。入れるべき砂糖がなかったから。(p.27)

 なかなかこうは訳せない。無二の翻訳と言ってよい。

 He created his own Kool-Aid reality and was able to illuminate himself by it.

 かれがつくるクールエイド世界リアリティはかれひとりのものだった。それは黙示の世界だった。

 しかし、これはどうだろう?
 たぶん前半部分を神の創造に匹敵するものとし、その創造された世界を見ることで創造主である「かれ」の秘密が暴かれる、そんな意味で「黙示」という言葉を使っているのだろうと思う。
 果たしてそこまで解釈を入れ込んでいいものかどうか。「illuminate」は語源的には光を当てることであり、そこから有名にするとか啓蒙するとかいう意味も生じる。黙示文学的な秘密の暴露とはちょっと異なるような気がする。

*1:商品名。小さな紙袋に入った人工粉末果汁。水に溶かして飲む。

*2:ワイノは最低級のワインしか呑めないアルコール中毒者。