本の覚書

本と語学のはなし

「がてに」と「かてに」

古今集の「がてに」

桜散る花のところは春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする  承均そうく法師(春歌下75)

 『古今和歌集』からの引用。「桜が散る花の場所、そこは春でありながら雪が降っていて、しかも消えにくそうにしている」という意味の歌である。散る桜を雪に見立てつつ、なかなか消えない雪であることよというのである。
 角川文庫の注では、「消えがて」について「見立てられた雪にふたたび実体である桜が重なり、『消えない雪』の像が生まれる」とある。おやと思ったのはここだ。「消えがて」が「消えない雪」を表しているという了解なのだ。
 本来、「がて」だけではなく、「がてに」まで含めて「~できないで、~にたえられないで」を意味する。さらに語源に遡れば、「かてに」が正しい。可能を表す補助動詞「かつ」の未然形「かて」に、否定の助動詞「ず」の古い連用形「に」を接続したものであるからだ。
 しかし、『ベネッセ古語辞典』を引くと、「上代においてすでに語源が忘れられ、意味用法の似た『難(がた)し』と混同して上代から『がてに』と濁音化した例がある」と書かれている。
 すると、『古今和歌集』の頃には、角川文庫の注が当然の前提としているように、「消えがて」だけで「消えない」という語感になってしまっており、本来の否定の「に」は助詞か何かのように添えられているだけだと思われていたのかもしれない。

万葉集の「かてに」

我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり  藤原鎌足(巻第二95)

 『万葉集』に収められた藤原鎌足の歌である。皆の者が得がたいと言っている安見児(やすみこ)を得たぞ、と得意そうにしている歌だ。
 「得かてに」で「得がたい」という意味になるのは、上にも書いたとおり。面白いのは、万葉仮名で書かれた原文である。この部分だけ取り出すと、「得難尓」となっているのだ。
 専門家ではないので、こういうところが『ベネッセ古語辞典』の指摘する、上代に既に存在した語源の忘却に当たるのかどうかは分からない。しかし、「かて」に「難」という字を当てているのは確かであり、混同していたかどうかは別としても、少なくともそのように表記したくなる気分は有していたのだろう。

 ちなみに、巻第五845の「うぐひすの待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ児がため」という歌の場合、「待ちかてに」の原文は「麻知迦弖尓」となっている。