- 作者:Collectif
- 発売日: 1998/04/01
- メディア: ペーパーバック
『La Bible de Jérusalem』。いわゆるエルサレム聖書。フランスで一番読まれている聖書だと言う。訳もさることながら、詳しい注釈がすばらしい。
代表的な英訳聖書を揃えたいという気もするけど、聖書コレクションは一旦これで終わりにしておく。
読んでしまった
不安定でありながら奇妙にだらだら長く続いた学生生活に終止符を打ち実家に戻った頃、ほとんど本を読むことができなかった。
当時の数少ない読書の内で、内容はよく覚えていないながら今に最も影響を残している本の一つが、村松剛の『教養としてのキリスト教』(講談社現代新書)である。
行ってしまった
後に初めて海外に行くことにした時、フランスとインドの間で揺れた。
フランス行きを決めたのは、どうしてもシャルトルを見たかったからである。ヨーロッパにおける最も美しい建造物として、村松が(アクロポリスは別格として)シャルトルの教会堂を挙げていたのが、ずっと気にかかっていたのだ。
没落してしまった
その結果、フランス語に力を入れることになった。学生時代にはドイツ文学を専攻したのだけど、私の貧弱なドイツ語では、到底それを告白するだけの勇気を持たぬ。遠い昔のことだから、次に履歴書を書くことがあるなら、フランス文学出身を詐称するつもりでいる。
だが、語学への影響などは大したことではない。フランスに行かなければ現在の没落はなかったかもしれないのだ(インドを彷徨っていたならば、もっと根本的な放下着の可能性も大いにあったが)。私は常に現世逃避的であり、あらゆる俗世間的な肩書に拒否反応を起こすようにできている。そのようなものが私を覆って硬い殻になろうとするとき、それを破り捨ててしまわなくてはならない衝動に襲われる。何かのきっかけさえあれば、それがほとんど自殺行為に等しいとしても、その衝動を貫こうとする。
私は2度辞職した。2度目はより狂的と見なされるだろう。そのきっかけとなったのがフランスだったのだ。パリにわずか1週間ほど滞在しただけで、私はどれほど帰国することを恐れ憎んだことだろう。