本の覚書

本と語学のはなし

ヘブライ語

   קָרוֹב יוֹם-יְהוָה הַגָּדוֹל
   主の大いなる日は近づいている。(新共同訳、ゼファ1:14)


 しばらくヘブライ語に時間を割くことにした。本はあまり読めなくなる。どのくらいで文法書を終えられるか、まだ見当がつかない。なにしろ怠けすぎた。巻末の語彙集ではなく、英語の辞書を引くことにしたのだけど、それが一苦労だ。練習問題に解答がついていないので、自分で聖書の該当箇所を調べるのだけど、それも手間である。

 聖書を読む。原文で読む。日本や欧米のいろんな訳で読む。神学をほんの少々学ぶ。できれば英語やドイツ語も使ってみる。日本古典文学とフランス文学をたしなむ。
 とりあえずここまで活動を縮小してみる。

 果たして私はカトリックかと問うてみる。断然そうではないと言いたくなる。本当にそれでよいのか。プロテスタントとすればどの流れの中に身を置くべきか。無教会派を積極的に支持するべきか。無神論と謗られる人間であるべきか。これからゆっくり考える。
 キリストを信じないとしても、キリスト教を学ぶことは決して無意味なことではないという確信だけはある。