本の覚書

本と語学のはなし

神・人間及び人間の幸福に関する短論文/スピノザ

 スピノザの著作は基本的にラテン語で書かれているが、『短論文』についてはオランダ語のテキストのみが伝わっている。訳者・畠中尚志の推測によれば、オランダ語での口述筆記を元にラテン語で執筆し、これをスピノザ本人かもしくは友人がオランダ語に翻訳し直した(スピノザのグループにはラテン語ができない人もいた)。さらに一友人がこのオランダ語訳に口述筆記を加味して編集し、注釈をつけたのが現行のテキストであるようだ(写本はあまり優秀とは言えないらしい)。
 若い頃に書かれたものだが、その内容は『小エチカ』というべきもので、既に『エチカ』の論点は大概盛り込まれている。『短論文』の構想はそのまま、厳密な幾何学的形式を伴って『エチカ』へと発展したのである。この発展的解消のために役目を終えた『短論文』は、ラテン語原典が散逸し、遺稿集にも収められぬまま、オランダ語訳写本の発見まで存在すら忘れ去られることとなった。

 出版のために推敲されてはいないし、スピノザは最初からスピノザであったとはいえまだ過渡的な思想を残しているし(精神と肉体を繋ぐ動物精気とか)、分かりにくい部分もあるのだけど、幾何学的な秩序によってではなく普通の文章で書かれている『短論文』は、『エチカ』入門として最適の一冊である。