『原文対照現代語訳 道元禅師全集第九巻 正法眼蔵9』(春秋社)を購入。『正法眼蔵』はこれで完結。全集もあと『清規・戒法・嗣書』の1冊を残すのみとなった。一時期の道元熱は既に冷めているけど、長らく春日佑芳の解釈にばかり頼り切っていたから、そこを離れてこの全集でもう一度学び直すのも悪くない。
それからフリクションの3色ペンの替え芯を購入。擦ると消えるのはこの上なく便利なのだが、インクの減りがめっぽう早い。
暖かくなってきたせいか、いつでも眠たくて困る。暇さえあれば寝てしまう。
『源氏物語』の「空蝉」を読了した。これからは、小説を1冊読んだら『源氏物語』か『万葉集』か『正法眼蔵』の1巻を読む、という具合に進めていくだろう。英仏以外の言語は中断している。タイム、英米文学、仏文学、和書。これでもう疲れ切ってしまうのだ。
いぎたなきさまなどぞあやしく変りて、やうやう見あらはしたまひて、あさましく心やましけれど、人違へとたどりて見えんもをこがましく、あやしと思ふべし、本意の人を尋ねよらむも、かばかり逃るる心あめれば、かひなうをこにこそ思はめと思す。かのをかしかりつる灯影ならばいかがはせむに思しなるも、わろき御心浅さなめりかし。(空蝉3)
眠りこけている様子などが、なぜかあのときとは変わっていて、だんだんに正体がお分りになると、あまりのことにいまいましくおなりになるけれども、人違いと感づかれるのも愚かしいことだし、女も変に思うだろう、お目当ての人を尋ねあてようにも、こうまで逃げる気でいるのだったら、そのかいもあるまいし、さぞこのわたしを愚かしくも思うだろうと、おあきらめになる。あの灯影に見えたかわいい女ならば、それでもかまわぬという気におなりになるのも、不都合な、軽率で思いやりのないお心というものだろう。
古文はさすがに日本語であって、ていねいに量をこなせば、外国語よりはるかに簡単に習得できる。いずれは和歌と歴史書を読むことに喜びを見出すようになるだろう。