心の中には、いとかく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはいとまれる古里ながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし、しひて思ひ知らぬ顔に見消(みけ)つも、いかほど知らぬやうに思すらむ、と心ながらも胸いたく、さすがに思ひ乱る。とてもかくても、今は言ふかひなき宿世なりければ、無心(むじん)に心づきなくてやみなむ、と思ひはてたり。(帚木17)
源氏を拒む空蝉の心模様。
一方、思いを果たせぬ源氏は、空蝉の弟の小君を侍らせる。
「よし、あこだにな棄てそ」とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。若くなつかしき御ありさまをうれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりはなかなかあはれに思さるとぞ。(帚木17)
「まあいい、せめてそなただけでもわたしを見捨てないでおくれ」とおっしゃって、おそばにお寝かせになった。小君は、お年若の、心もひきつけられるようにやさしい君のお姿を拝見して、うれしく、美しいと思っているので、君のほうも、冷淡な姉君よりはかえってこの弟をいとおしくお思いになっている、ということである。
以前源氏と小君の関係について書いたが*1、単にほのめかしているのではなくて、こうしてはっきりとした記述があるのだった。
これで「帚木」は終了。いったん『万葉集』か『正法眼蔵』に移ろうかと思ったが、次の「空蝉」は「帚木」からの続きになっているし、短いので、このまま『源氏物語』を継続する。