本の覚書

本と語学のはなし

『原色小倉百人一首』


●鈴木・山口・依田『朗詠CDつき 原色百人一首』(文英堂)
 買った時にも書いたが、*1現代語訳、作者紹介、語句や文法の説明、全文の品詞分解、鑑賞などを1首につき1ページ(たまに見開き2ページ)に収めている。全部カラーで、写真つき。和歌の世界をイメージをしやすい。暗記用には役立たないかもしれないが、朗詠CDまでついて893円。初学者にはありがたい本である。
 百人一首には定家の頃までの500年以上の和歌の歴史が凝縮されている。和歌とは何ぞやと知るための優れた入門だ。私は万葉の歌に惹かれる傾向があるけど、多分それは素直な気持ちを自然に歌ったものという信仰のようなものがあるからだろう(必ずしも正しくはないかもしれないが)。しかし、和歌は常に開かれたコミュニケーションの手段であった。恐らくそれが和歌の第一義であるし、表現の形態が複雑になろうとも、後世においてもそのことに変わりはない。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ(97 権中納言定家)

いくら待っても来ない人を待ち続け、松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のように、私の身もずっと恋いこがれていることだ。


 歌合の題詠。女性の立場で詠んだもの。掛詞(「待つ」と「松帆の浦」)、序詞(「まつほの」から「藻塩の」までが「こがれ」を導き出す)、縁語(「焼く」「藻塩」と「こがれ」)、本歌取り(『万葉集』巻六940)などの技巧。素人にとっては鑑賞しにくい歌であるけど、当時の知識階級には、まさにその技巧ゆえにこそよく理解されたに違いない。知識不足を大方の原因とする単純好みを振り回す前に、この歌を即座に共有しえた当時の学識と心性とに少し踏み入る必要がある。

【CDなし】