本の覚書

本と語学のはなし

真字『正法眼蔵』


 第122則。読むたび目頭が熱くなるエピソード。長いので現代語訳だけ引用する。

報恩玄則禅師《法眼に嗣ぐ》は、法眼の道場にいた。ある日、法眼が問うた、「あなたはここにどのくらい居ますか」。玄則、「和尚さんの道場に居て、すでに三年になります」。法眼、「あなたは後輩なのに、日頃、何にも悟りを問おうともしないね」。玄則、「わたしは決して和尚をバカにはいたしません。わたくしは以前青峰のところに居て、安楽のところを得ました」。法眼、「あなたは何の語により入ることができましたか」。玄則、「以前、青峰に『学人(わたくし)の自己とは何か』と問いましたところ、青峰は『丙丁童子がやって来て火を求めるようなもの』と答えてくれました」。法眼、「好い言葉だ、だが恐らくはあなたは理解していないだろう」。玄則、「丙丁は火に属す、火で火を求めるようなもの。あたかも自己が自己を覓めるのと似ている」。法眼、「あなたが理解していないのがはっきりと分った。仏法がもしそのようであるならば、今日まで伝わらない」。玄則はそれを聞いて煩悶し、そこを立ち去った。中路まで行ったところでさらに思案した、「あのお方は五百人の善知識である。わたしがまだ駄目だと言われるからには、必ずや取るべき点があるだろう」。引き返して懺悔してすぐに問うた、「学人の自己とは何か」。法眼、「丙丁童子がやって来て火を求めるようなもの」。玄則はその言葉の下に大悟した。(『全集14』175頁)