本の覚書

本と語学のはなし

Totalité et infini


 だいぶ回復の兆しはあるが、さらに改善させるために、メニューを少し変更してみることにした。


 英語とフランス語の基本的な読解力は、午前中のニューズウィークル・モンド・ディプロマティクで養うことにする。
 ディプロは10月号を引っ張り出して来て、日本の政権交代の記事を読み始めた。今月号からまた毎月購入しよう。ニューズウィークは3月で購読期間が終了する。タイムへの乗り換えを検討したい。


 夕食後は趣味の読書。その内、一部の時間を割いて原典講読をするが、英語に関しては今まで通り英米文学(現在はブローティガン『芝生の復讐』)。フランス語はレヴィナスの『全体性と無限』を読むことにする。以前やめたところから再開(嫌になったらいつでもまた文学に戻ろう)。同じ日に英語もフランス語もやるのではなくて、一日交代のローテーションで無理なく読んでいきたい。カント『実践理性批判』を復活させたい気もするが、欲張り過ぎてはいけない。
 日本語による読書は、経済のほか哲学関連を中心に戻す。道元全集も投げ出さずに全巻読み通したい。これまでのような毎日少量という読み方はやめようと思う。


 久し振りにレヴィナス『全体性と無限』を読んでみたので、原文と熊野純彦訳(岩波文庫)を紹介しておく。ブーバーの他者との関係性の概念を論評した部分である。

Je-Tu est événement (Geschehen), choc, compréhension ― mais, ne permet pas de rendre compte (si ce n’est que comme d’une aberration, d’une chute ou d’une maladie) d’une vie autre que l’amitié : l’économie, la recherche du bonheur, la relation représentative avec les choses. (p.65)

〈私―きみ〉はできごと(Geschehen)、衝撃、理解である。けれども〈私―きみ〉によっては、友情以外の生のかたちを説明することはできない(説明されうるとしても、逸脱、堕落、病理としてにすぎない)。つまりエコノミーを、ものとの関係を代表する、この幸福の追求を説明することができないのである。(上122,3頁)


 ここでエコノミーというのは通常の経済のことではない。別のところで熊野がつけた訳注(394頁)によれば、レヴィナスの場合、第一義的には「享受」「労働」「家」等、第二部の主題系を指標する概念とのこと。
 この本を読む楽しみは、熊野の詳細な訳注を読む楽しみでもある。