本の覚書

本と語学のはなし

Bel-Ami 前半終了


 モーパッサン『ベラミ』の前半が終了した。岩波文庫の翻訳は二分冊になっているので、こちらは上巻を終えたことになる。
 記念に、最後の方で語られるフォレスチエ夫人(たった今未亡人になった)の結婚観を書き抜いておく。杉捷夫のややぎこちない訳にも、最近は愛着を感じている。

 Comprenez-moi bien. Le mariage pour moi n’est pas une chaîne, mais une association. J’entends être libre, tout à fait libre de mes actes, de mes démarches, de mes sorties, toujours. Je ne pourrais tolérer ni contrôle, ni jalousie, ni discussion sur ma conduite. Je m’engagerais, bien entendu, à ne jamais compromettre le nom de l’homme que j’aurais épousé, à ne jamais le rendre odieux ou ridicule. Mais il faudrait aussi que cet homme s’engageât à voir en moi une égale, une alliée, et non pas une inférieure ni une épouse obéissante et soumise. Mes idées, je le sais, ne sont pas celles de tout le monde, mais je n’en changerai point. Voilà. (p.209)

 よくわたしの申すことをお判りになって下さいまし。結婚は私にとっては、鉄鎖ではなく、一つの協力行為ですの。私は自由でいたいのです。自分の行為についても、何をどうしようと、どこへ行こうと、いつでも、完全に自由でいたいのです。自分の行動について干渉されることも、やきもちを焼かれることも、とやかく言われることも、私には我慢ができません。無論、私が夫と選んだ人の名を汚すようなことは決してしませんし、人から憎まれるような、物笑いになるようなものには致しません。それは約束します。しかし、また、その男の人の方でも約束して下さることが必要なのです。私という人間の中に一段劣った人間や、従順に言うことを聞くだけの妻ではなく、平等な人間を、同盟者を見ることを約束していただかねばなりません。この私の考えは、世間一般の考えではありません。それは存じております。でも、それを変える気には絶対になりません。これだけ申し上げればいいのです。(293,4頁)


 後半に入る前に、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』を読んでおこうと思う。