本の覚書

本と語学のはなし

『正法眼蔵を読む6』 〔68〕


●春日佑芳『正法眼蔵を読む6』(ぺりかん社
 七十五巻本の「遍参」(57)から「出家」(75)までを扱う。
 道元は、宋から戻り「辨道話」を書いた頃はそうでもなかったが、だんだんと出家至上主義に傾いた、と言われる。七十五巻本の最後は、まさに「出家」というタイトル。

 あきらかにしるべし、諸仏諸祖の成道、たゞこれ出家受戒のみなり。諸仏諸祖の命脈、たゞこれ出家受戒のみなり。いまだかつて出家せざるものは、ならびに仏祖にあらざるなり。仏をみ、祖をみるとは、出家受戒するなり。(Ⅳ44頁)


 『法華経』に記述があり、日蓮宗では特に重要視されている「久遠実成」のブッダについても、面白いことが書いてある。

 しかあれば、久遠実成(ぐをんじつじやう)は「我小出家(がせうしゆつけ)」なり、「得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみやくさんぼだい)」は「我小出家」なり。「我小出家」は挙拈(こねん)するに、「徳薄垢重(とくはくくぢゆう」の楽小法(ぎょうせうぼう)する衆生、ならびに我小出家するなり。我小出家の説法を見聞参学するところに、見仏阿耨多羅三藐三菩提なり。楽小法の衆生を救度(ぐど)するとき、「為是人説(いぜにんせつ)、我小出家、得阿耨多羅三藐三菩提」なり。(Ⅳ50,51頁)

 されば、釈迦牟尼仏が久遠の昔から成仏していたというのは、若くして出家した、その我小出家のとき以来のことである。阿耨多羅三藐三菩提を得たのは、我小出家のとき以来である(その出家の日に、すでに菩提を成就していたのだ)。
 釈迦牟尼仏が、「我小出家」と説くとき、徳は薄く煩悩に汚れて、小法ばかりを追い求めている衆生も、釈迦菩薩と同参して、我小出家するのである。この我小出家の説法を見聞し、同じく出家して参学するその当処に、すでに仏の阿耨多羅三藐三菩提を見るのである。だから釈迦牟尼仏は、小法を追い求めている衆生を救おうとするときに、、「この人のために説く、私は若くして出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得た」といったのである。(Ⅵ271,272頁)


 春日は十二巻本の解釈をまとめることはなかったので、この先は森本和夫を参照する。

正法眼蔵を読む〈6〉

正法眼蔵を読む〈6〉