本の覚書

本と語学のはなし

資本論


 マルクスは引用したくなる文章に事欠かない。『資本論』第二版あとがきの中で、「ヘーゲルにあっては弁証法が逆立ちをしている」と言った後、こうも書いている。

弁証法はその合理的な姿においては、ブルジョアジーとその教条的代弁者にとっての躓きの石であり、嫌悪の対象である。というのもそれは現存するものの肯定的理解のなかに、同時に否定と必然的没落についての理解をあわせ持っているからである。弁証法は生成されたすべての形態を運動の流れのなかにとらえ、その過ぎ去りゆく側面にそって理解する。それは何ものにも屈せず、その本質において批判的かつ革命的なものである。(4.24頁)


 そして、近づきつつある恐慌について一言述べて、このあとがきを終えている。

その舞台のすそ野の広さ、その作用の強烈さを通じて、その恐慌は、新しい神聖プロイセンドイツ帝国の成り上がりたちにも、弁証法の何たるかをしっかりとたたき込むことになるだろう。(4.25頁)


 ちなみに、ドイツ語の原文で読む試みは早くも頓挫した。モンテーニュの原文も、また本棚に引っ込めた。欲張りすぎてはいけないようだ。