本の覚書

本と語学のはなし

Kritik der praktischen Vernunft


 対照的な翻訳を見つけたのでメモ。例によってカントの『実践理性批判』より。


 ... der Begriff der Heiligkeit, der ihr*1 um deswillen zukommt, setzt sie*2 zwar nicht über alle praktischen, aber doch über alle praktisch-einschränkenden Gesetze, mithin Verbindlichkeit und Pflicht weg.


 宇都宮訳はいかにも哲学らしい直訳。


《そこでこの理由から英知に属する神聖性の概念は、この英知をなるほど一切の実践的法則を超えたところではないにしても、一切の実践的に=制限する法則を、したがって責務と義務を、越えたところに置き移すのである。》


 坂部・伊古田訳では、若干の工夫をしている。


《そこで、この理由からして神聖性の概念が知性の概念に帰せられると、この知性はあらゆる実践的法則とは言わないまでも、それでもすべての実践的に=制限を加える法則は超越し、したがって責務と義務を超越してしまうのである。》


 第1点。主語の「神聖性の概念」に続く関係節を訳し下ろし、かつ無生物名詞を他動詞の動作主とすることを避けるために、主部を全体として条件節のように処理している。すべて直説法で書かれている文章が、それによってニュアンスの変更を伴わないだろうか。その点がクリアーできていればオーケー。
 第2点。他動詞の目的語を主語に置き換え(主語が無生物であることには変わりないが、それに耐えられないなら哲学を読むことはできない)、他動詞を自動詞化する。これは第1点から必然的に帰結するテクニックである。
 しかし、第3、第4の工夫はない。「zwar」以下はもう少し何とかできそうだ。


 もちろん、哲学の場合、テクニックに走って余計な解釈を入れ込むこともありうるし、原文の理解し難さまでも安易に砕いて翻訳する必要もないだろう。
 しかし、日本語としての体を為していないために哲学が読めないこともよくあるわけで(そういう場合、訳者の理解不足とか誤訳の可能性もある)、最低限の工夫はしてもらいたいと思う。

*1:「der Intelligenz」のこと。

*2:「die Intelligenz」のこと。