以前に誤訳の可能性を指摘したようなものでも、今改めて読み返すと、私が規範的な翻訳に囚われていただけではないかと思うことがある。 例えば、小田実訳の『イーリアス』。これを誤訳としてしまっては、翻訳の工夫を否定してしまうことにもなりかねない。 …
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