本の覚書

本と語学のはなし

お気に召すまま/ウィリアム・シェイクスピア

 祝祭的な気分の森という場そのものが、ある意味では主人公であるのかもしれない。
 追放されながら、却って森の中で悠々と暮らす公爵。彼を追放した弟は、後に彼を征伐しようとして森に足を踏み入れ、そのまま隠者になる。
 逃亡した弟を追って森にやってきた貴族の兄は、獣の餌食となるところを弟に助けられてすっかり改心し、彼ら兄弟はそれぞれに公爵兄弟の一人娘と結婚する。
 兄公爵に仕えて一緒に森に逃れた貴族の一人は、許された後にも宮廷には戻らず、隠者となった弟公爵の元に行く。
 もちろんシェイクスピアは一面的に森の全てを肯定するわけではない。祝祭的気分のクライマックスである四組の結婚においても、その全てが混じりけ無しの純粋な愛を称えるものでもない。
 道化は言う、「おれとしちゃあほかのだれよりこの先生に式をあげてもらいたいんだがな。この先生ならりっぱに結婚させてくれそうもないし、りっぱな結婚をしてなければあとで女房から逃げ出すときのりっぱな口実になるからな」(3幕3場)。そして、大団円の中でこうも言われる、「おまえは夫婦喧嘩にゆだねよう、おまえの恋の船旅は/二月分の食糧しか用意されていまい」(5幕4場)。
 アーデンの森はフランスにあるものとされているが、シェイクスピアの故郷ウォリックシャーの近くにある実在のアーデンを彷彿とさせるともいう。

から騒ぎ/ウィリアム・シェイクスピア

 “Much Ado about Nothing” というタイトルの nothing の音は、エリザベス朝当時の発音では noting に通じるという。


 第2幕第3場のやりとり。

バルサザー 節を付ける前にお願いのふしがあります――
私の節に不審な点がありましても不問にふしてください。
ドン・ペドロ これは不思議なことを聞く。不問にふせと言うが
節回しは譜面にふしてあるのではないかな。

BALTHASAR Note this before my notes:
There's not a note of mine that's worth the noting.
DON PEDRO Why, these are very crotchets that he speaks―
Note notes, forsooth, and nothing!


 『空騒ぎ』は単なる「空」騒ぎなのではなく、「注意を払うこと」あるいは「気づくこと」をめぐる喜劇でもある。

ウィンザーの陽気な女房たち/ウィリアム・シェイクスピア

 間の抜けた悪役フォールスタッフは、『ヘンリー四世』にも出てくる騎士である。子分のバードルフとピストルもそうだし、ニムは『ヘンリー五世』に出てくる。
 クィックリーという夫人は、『ウィンザーの陽気な女房たち』では医者の召使い、『ヘンリー四世』では居酒屋のおかみ、『ヘンリー五世』ではピストルの妻となって登場する。同一人物とするべきかどうか分からないが、『ウィンザーの陽気な女房たち』のピストルもクィックリーを狙ってこう言っている、「あのあばずれは他人様の恋をとりもつ屋形船、/それならこちらも帆をあげて、追撃開始だ、砲撃だ、/みごとあの船を乗っとるぞ、さもなきゃ撃沈あるのみだ!」(2幕2場)。劇中でその結果は明かされないということは、この劇の外にあるものを示唆しているのかもしれない。


 『ヘンリー四世』を観たエリザベス女王が、フォールスタッフが恋をしているところをみてみたいと注文したために、シェイクスピアはわずか10日程度で『ウィンザーの陽気な女房たち』書き上げた、との証言が残っている。
 真偽の程は分からない。しかし、他の状況証拠を援用しつつも、この伝説を根拠として創作年代を決定する人も多いようだ。
 女王を喜ばせるためだけに書いたと思わせる説得力は確かにある。