本の覚書

本と語学のはなし

2019年5月【振り返り】

▼人に勉強を教えることはなさそうな気がしてきたので、学び直し計画を大幅に縮小することにした。
▼小中学部門は、中学の数学、理科、社会のテキストを終えたところで休止。
▼高校部門は、古文、漢文、英語、世界史、日本史、数学(理系を含む)を継続しようとは思う。ただし、古文、漢文と英語はなるべく早く受験参考書を離れたい。


▼現在も参考書に没頭しているばかりではない。捗ってはいないけれど、ヘブライ語ギリシア語もフランス語も『枕草子』も読んでいる。
▼再び聖書学に傾くのか、英語とフランス語を完璧に仕上げるのか、それらに学校の勉強も加えて万遍なく学んでいくのか、選択をしなくてはならない。


映画

インデペンデンス・デイ (字幕版)

インデペンデンス・デイ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

イエスの殺害をからだに負う【ギリシア語・ラテン語】

 コリントの人々への第二の手紙4章9-10節。

διωκόμενοι ἀλλ’ οὐκ ἐγκαταλειπόμενοι, καταβαλλόμενοι ἀλλ’ οὐκ ἀπολλύμενοι, πάντοτε τὴν νέκρωσιν τοῦ Ἰησοῦ ἐν τῷ σώματι περιφέροντες, ἵνα καὶ ἡ ζωὴ τοῦ Ἰησοῦ ἐν τῷ σώματι ἡμῶν φανερωθῇ.

persecutionem patimur, sed non derelinquimur; deicimur, sed non perimus; semper mortificationem Iesu in corpore nostro circumferentes, ut et vita Iesu in corpore nostro manifestetur.


 普通「死」には「タナトス」を使うが、ここではなぜか「ネクローシス」である。岩波訳は、それゆえこれを単に「死」と訳すのは誤りであるという。

迫害されながらも、見棄てられてはおらず、投げ倒されながらも、滅ぼされてはおらず、常にイエスの殺害をこのからだに負って〔歩き〕まわっている。それはイエスの生命もまた、私たちのこのからだにおいて明らかにされるためである。

 ただし、パウロがここで「ネクローシス」を選択した意図は分からないながらも、普通は単に「死」のことと解されており、田川建三もそう考えている。


 フランシスコ会訳の解釈も独特である。聖フランシスコ的であると言うべきか。

迫害されますが、見すてられはしません。打ち倒されますが、滅びはしません。わたしたちは、いつもイエスの死に瀕した状態を体に帯びています。それはまた、イエスの命がこの体に現れるためでもあります。

受験計画の立て方/和田秀樹

受験勉強計画の立て方 (超明解!合格NAVIシリーズ)

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  • 作者:和田 秀樹
  • 発売日: 2015/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 緑鐵会で指導していることを(そのままかどうかは分からないが)、一人でも出来るように紹介してくれているようだ。受験間近に迫った時期の実際の計画表を見ると、こちらも緊張してくる。

こうして見ると、受験は“真の学力”を競う戦いではなく、戦術力や情報処理能力、計画作成力を競うゲームのようなもの、と言うこともできるだろう。(p.148)

 私自身はそういうゲームを嫌って、好きなことしかして来なかったわけだが、それによって空いた知識の大きな穴を、社会人になってからようやく埋め合わせる必要を感じた。阿呆らしいとは思っても、あの頃にしっかり勉強をしておくべきだったかも知れない。