本の覚書

本と語学のはなし

目からウロコ とりなしの祈り/来住英俊

 「とりなしの祈り」とは、自分のためにではなく、他人のために祈ること。継続するのはなかなか難しい。しかし、一時の情熱に任せて祈るだけでは意味がない。そこで、続けやすい方法と手順を決めておくのが大切だ。
 著者が勧めるのは、言葉ではなくイメージで祈ること、ロザリオを用いること。一件の手順は以下のようになる。

①祈ってあげたい人の姿をイメージします。
②イエスが来て、彼と一緒にいてくださる、
 あるいは、神の柔らかい光の中に包まれている様子をイメージします。
③そのありさまを見つめつつ、ロザリオを一連唱えます。 (p.36-37)

 これは身近な人々のために祈る場合だけではなく、世界の各地で起こる出来事のためにも応用できる。イエスのまなざしが人々に注がれるさまや、神の手が地図上の土地を覆うさまをイメージするのである。
 それが何になるのか、という問いも当然あるだろう。

この疑問には、「神ご自身がそれを望んでおられる」という答えしかありません。神はご自身ですべてをなさることができますが、人間の祈りに支えられて成し遂げることを望んでおられます。私たち人間は、祈りによって神の働きを深め豊かにすることができるのです。(p.58)

 ここらへんは私もスルーしたいところだが、信仰深い人たちにとってはそういうことになっているのである。
 しかし、それを措くとしても、祈りが世界との関係を結ぶ結節点になっていることは確かである。祈るためには思いを集中し、学ばなければならない。祈ることで実際にも動きやすくなる。祈られたことが現実に改善に向けて動かないとしても、祈られた者がその祈りを全く感じていなかったとしても、祈りはその都度世界を更新していくだろう。パウロは、とりなしの祈りが人に品位と落ち着きを与えるとも言っている(一テモ2:1-2)。